「朝鮮映画特集」(シネマ・ジャック&ベティ)を観て |
−胸打つ叙情的な人間ドラマ 映画監督 朴美和 横浜にある唯一の名画座、シネマ・ジャック&ベティにて先月の7月18日から26日までの間、「北朝鮮映画の全貌」という特集上映が行われた。以下()の中の数字は制作年。 朝鮮を代表する一大革命叙事詩的作品「花を売る乙女」(72)、朝鮮初のアクション映画「洪吉童」(86)、古典文学の代表作「春香伝」(80)、戦争ドラマ「月尾島」( 82)、フランスとの合作アニメーション「好童王子と楽浪王女」(72)、恋愛ドラマ「大同江のほとりで」(93)、実在の人物を描いた「農民英雄」(75)、コメディー映画「遊園地の一日」( 78)、また金日成主席生誕90周年の祝祭を完全収録した「アリラン祭」(02)という全9作品のバラエティー色豊かなラインナップとなった。さらに今回この特集上映に併せて「ある女学生の日記」( 07)という作品も上映されたが、これは朝鮮初カンヌ国際映画祭出品作で、日本では待望の初公開となった。
人々の優しさ
私はこの特集上映で「大同江のほとりで」を面白く拝見した。これは老若男女のカップル二組の恋愛模様を描いた作品で、シチュエーションがとても新鮮だ。中年のカップルを中心に描かれているのだが、二人の恋愛に対して純真すぎる点と、周りを取り巻く人々の優しさに心温まった。 他には映画館では拝見できなかったが、小学生の時にキャンプの帰り道のバスで観た「洪吉童」は当時の私には衝撃的で、未だに覚えているシーンがあるほど。ちなみに私には「洪吉童」という名前の伯父がいる。恐らく在日一世の祖父が勢いで名付けたのであろう。もしくは本当に伝説の人物になってほしかったのか。冗談とも本気とも取れぬこの謎の真相は、親族誰一人はっきりとわからずに、先日祖父が亡くなったので、闇に葬られた。もう聞くことはできないが、自分は両班だと法螺を吹く私の祖父のことだからきっと…。 そして「ある女学生の日記」について。物語に登場するのは純真無垢な主人公・スリョン、自由奔放な妹、優しい母に、たくましい祖母…。画に描いたような家族像だが、家には一家の大黒柱であるはずの父が仕事のために不在である。ミッキーマウスのリュックサックを背負った幼い女の子が小学校に通う後ろ姿のファーストカットは、これから始まるこの作品がごくありふれた人間ドラマではないことを予感させる。そして実際その通りだということに、前半のモンタージュのくだりで確信させられる。聞くところによると、スタッフたちが、何カ月も映画を撮らずにひたすら外国の映画を見て学び、この作品で朝鮮映画の新境地を開いたという。
主人公に感情移入
私は幼い頃に両親が離婚して父親がいない。だからスリョンはひんぱんには会えないものの、父親がいるだけましとも思えたが、家族が困った時に頼れる父親がいない寂しさや、明るくしていても心の中にある空虚感をひしひしと画面から感じ、主人公にすっかり感情移入して自然と涙がこぼれた。終盤、スリョンが幼い頃の自分の姿を見つめる幻想的なシーンは、言葉では言い尽くせないものがある。そしてタイトルにもあるように、全編を通して所々に日記のようなナレーションが入るが、決して説明的ではなく、映像で表現された叙情的な人間ドラマに胸を打つ。 私の好きなシーンは親子でアイロンをかける日常風景や、父との久しぶりの再会で妹がドアを思わず倒してしまう、感動的でいてユーモアあふれるシーンだ。さらに特筆したいのは主人公・スリョンを演じる女優がかなり魅力的であること。台詞のない表情だけの演技が見事である。 10本にも満たないが、代表的な物語をはじめ、この多彩な作品群と最新作の「ある女学生の日記」を観たら、朝鮮映画という粋を少しでも感じ取ることができる。そして映画の中に、朝鮮に暮らす人々の生活の根幹を垣間見ることができる。それを少しでも理解するためにも、映画はひとつの手段であると思った。
−意外な結末に涙 アクション映画「洪吉童」
わが街・横浜の映画館で行われた「朝鮮映画週間」についての記事が、朝鮮新報に載っていた。 総連横浜支部からもりっぱな上映スケジュール表が届いた。 学生時代は、映画が大好きで受験勉強をさぼって東京・京橋のフィルムセンターに通ったり、年間100本見るのを目標に掲げたりもしたが、最近は映画館に一度も足を運ばない年もざらになってしまった。ビデオ、DVDの普及や自己の生活の変化、そして映画そのものへの夢がなくなってしまったためだ。 だが、このシネマ・ジャック&ベティは、意欲的な作品選択で、地元でも注目されていたし、改装前には何回か行ったのを思い出し、さっそくその中の1本「洪吉童」を見た。 両班の家庭に生まれたが、庶子のため義賊に転身するというアクションもの。16世紀の古典作家・許原作でなかなかおもしろかった。南でも「洪吉童伝」のバリエーション「一枝梅」が若い映画スターを起用しドラマ化され好評のため、さらに若い俳優で新シリーズも制作されていると聞く。 朝鮮で制作されたこの映画は意外な結末だった。この手の民話やおとぎ話の常として、主人公は最後に賞賛とほうびを受け、助けた姫君と幸せに暮らす。 ところが、この映画ではその不条理な身分制度は、王ですら壊せず、国に尽くした英雄であるはずの洪吉童は故郷を捨て、大海原へとさまよいでるしかなかった。 彼を慕う娘と信じる仲間たちが一緒なのがせめてもの救いだが、おもわず涙した。 個人が少しばかりましな生活ができても、民衆すべてに幸せが訪れなければ真の良い社会にはならないという、もっともなテーマに今さらながら気づかされる。 今の日本で朝鮮の映画がこうして上映されるのは、とてもうれしいことだが、ハリウッド大作映画の空虚さに飽きた日本の観客が、今はそのよさを再認識して、一時冷え込んでいた日本映画は盛り返していると聞く。 韓流ドラマや映画も楽しいが、朝鮮の映画だってこの通りおもしろいものがいっぱいあるはず。それらを見てみたいと思った私は、少数派なのだろうか? 今の時代、ウリハッキョ出身の映画関係者もたくさんいて、高い評価を受けている。いつか日本でもっと多くのすばらしい朝鮮映画と、在日同胞などを主人公にした在日監督による映画作品が普通に上映される日が、きっとくると信じている。(金幸枝 横浜市) [朝鮮新報 2009.8.10] |