若きアーティストたち(66) |
映画作家 朴美和さん 昨年、西東京市民映画祭2008の自主制作映画コンペティションで、朴さんが監督した短編映画「東京アリラン」が最優秀作品賞を受賞した。 日本学校に通う在日コリアン3世の女子高生が、祖母の死を前に自身のアイデンティティーを追求、確立していく物語。 「ストーリーは自身の経験と重なる部分が多く、主に私のハルモニとの思い出を描いた」 初級部まで朝鮮学校に通い、中学校からは日本学校へ。転校を機に、高校からは「通名」で通った。周りと違う自分、「在日」である自分を隠したかったからだ。 しかし、朝鮮奨学会のキャンプや交流の場に参加し、自身の存在について模索するなかで、その考えは払拭された。学校の友だちに「在日」だと明かしても、以前と変わらなく接してくれた。結局、気にしていたのは自分だけだったと述懐する。そして、大学から再び本名を名乗った。 映画好きの家族に囲まれて育ち、数々の作品を観てきた。中学生の時は映画のエキストラのアルバイトもした。実際に映画制作の現場を見て、役者よりも、さまざまな機材やスタッフに興味をそそられたという。
そして、高1の時に映画「GO」(行定勲監督)を観て、朴さんと同じく日本学校に通う「在日」を描いた内容に衝撃を受けた。「自分の話も映画にできるかな」−映画作家になろうと心に決めた瞬間だった。
高校卒業後、日本大学藝術学部に進学し、映画学科の監督コースで本格的に理論や技術を学び、実習を重ねた。「東京アリラン」は4年生の時に卒業制作として、1年をかけ手がけたものだった。 幼い頃から人一倍映画に興味を持っていたが、その制作の醍醐味を、「一から自分たちの力で、いろんな人と力を合わせてひとつのものを創りあげること」と語る。 監督といえば、大声で役者やスタッフに指示を出す姿が印象強いが、「大勢の人のなか、人前に立つのは苦手。だから撮影は大変。でも、その過程を積み重ねていくうちに、大分変わった」。映画制作を通じて、そんな自分の内にある苦手意識を克服していった。 今まで短編映画は10余作品を手がけたが、ほとんどが「在日」をテーマにしたものだった。しかし、当分は「在日」に関わる作品は作らないという。それは、今まであつかった作品が「在日」だからうけたのかもしれないという疑心を取り除きたいという思い、そして自分のなかでもっと温めたいテーマだからだという。 現在は、映画専門誌「キネマ旬報」の編集部でアルバイトをしている。「バイトだけど、映画を観たり原稿を書いたり、半分は勉強をし直している感じ」。毎日、新聞には目を通す。人と接するなかで気になったことはネタ帳に書き留める。多彩な情報から作品へのヒントを得ようと常にアンテナを張っている。 「良い映画は刺激になるし、制作意欲が湧いてくる」ので、休日はもっぱら映画を観る。 今年初めには、大学時代の友だちとオムニバス映画制作のため、香港やフランス、米国などを回り、撮影を行った。脚本作りにも意欲的に取りかかっている。 また、映画のみならず、写真にも携わる。今月19〜26日には、東京・根津で初個展を開いた。 「一生映画に携わっていきたいし、いろんな人に認められる作品を作りたい」(姜裕香記者) ※1985年生まれ。東京朝鮮第1初中級学校(初級部)、08年日本大学藝術学部映画学科卒業。08年短編映画「三河島ジャンケンポン」が「第10回長岡インディーズムービーコンペティション」でグランプリを受賞。同年短編映画「東京アリラン」が「西東京市民映画祭2008」で最優秀作品賞を受賞、そのほか仙台や京都、横浜など各地で上映。現在、映画専門誌「キネマ旬報」編集部でアルバイトをしながら、映画制作に励む。 [朝鮮新報 2009.7.27] |