top_rogo.gif (16396 bytes)

〈朝鮮と日本の詩人-97-〉 吉田欣一

朝鮮の女、毅然たる姿

 霜柱の崩れた泥濘の道を/毀れかけた乳母車に/ブリキ、鉄屑、壜の破片、紙屑などを満載して/背中で泣き喚く餓鬼をどなりつけ/軒々の塵芥箱を/棒切れでかきまわしてゆく朝鮮の女/人々のさげすむ様な哀れむような眼を/不敵にもはね返し/ゆったりとした足どりで車を押して行った/傍の工場からは/音頭とりの杭打ちの唄につれて/(よいとこまーけ)/(よいとこまーけ)/と女工等のかん高い声が聴こえてき/空に突き出ている大煙突からは/濛々と黒煙が/空にあまたの生活の文字をくり拡げている/歩みながら/私はあの朝鮮の女の/たじろがぬ顔を思い浮かべて/ぎゅっと唇を噛みしめた/枯れ枝の先端で/ぴゅんと風が唸って行ったが/もう肌刺すような冷たさはない

 プロレタリア詩「春先の風」の全文である。植民地時代に生活の糧を求めて、追われるようにして渡日してきた同胞の苦難の現実をリアルに再現している。

 詩人の目に映じたのは、「人々のさげすむ様な哀れむ様な眼を/不敵にもはね返」す「朝鮮の女」の毅然たる姿である。それは当時の朝鮮人のほとんどが胸中に秘めていた抗日の精神が構えさす姿勢だといえる。

 中原中也の「朝鮮女」に一脈通じるともいえるこの詩のモチーフは「私はあの朝鮮の女の」以下3行に凝縮されている。逆境にあらがう彼女の不屈の面持ちから、プロレタリア詩人としてたたかい、詩作する新たな決意を、春を告げる風に託したのである。中野重治と親しかった詩人は、中野の3.15事件をあつかった散文詩風の好短編「春先の風」を意識して詩題を考えたのではなかろうか。

 吉田欣一は1915年に岐阜で生まれ20歳で詩作を始め、プロレタリア詩史に名をとどめ、敗戦後も、朝鮮に連帯を示した「心が悲しく重いのだ」や「わが感懐―敗戦後四十年」「ロシアの大地」などかなりの作品を発表した。最近94歳で永眠したのを機に、朝鮮の反米闘争を断固支持する活動家集団・思想運動の機関紙「思想運動」(09年6月15日付)で、武井昭夫が代表作を精選して紹介し、すぐれた評伝を書いた。(卞宰洙 文芸評論家)

[朝鮮新報 2009.7.13]