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〈朝鮮の風物−その原風景 −21−〉 アメ売り

庶民には高嶺の花

 ひと昔まえ、大道の物売りのなかで目を引くものの一つにアメ売りがある。

 アメを入れた浅底の木箱を紐でたすきがけにし、アメばさみのリズミカルな音にあわせて「アメ打令」をひとくさりうなって商うのがその定番である。

 朝鮮朝時代の風俗画を丹念にみると、アメ売りの意外に多いことに気づかされる。

 檀園・金弘道風俗画帖の「シルム(相撲)図」や、王の御幸を描いた「水原陵幸図」と「舟橋図」「平壌監司饗宴図」「京畿監営図」、伝劉淑の「大快図」、金俊根の風俗画などがそれである。

 金弘道の「シルム図」のアメ売りは、相撲の勝敗には目もくれずに商いする姿が笑いを誘うし、「水原陵幸図」や「舟橋図」のそれには、王の行列を見物する群集を相手にちゃっかりアメを売る庶民のしたたかさがよく表われている。

 ところでアメ売りは、市場や大道でも商いをしたが、村々をまわるのがどちらかといえばメインだった。

 独特の形をしたアメばさみが打ち鳴らす軽快なリズムと「アメ打令」が響きわたると、村の子どもたちは大騒ぎになる。子どもたちにはアメは羨望の的だったからだ。近世まで、天然の蜂蜜や砂糖は貴族、両班の占有物で、一般庶民には高嶺の花だった。当時庶民は砂糖の存在すら知らなかったという。子どもたちがアメに興奮するのも無理からぬことである。

 アメは、糯米、かぼちゃ、とうもろこし、ジャガイモなど、地方によってさまざまだが、これをお金に代る古着、古紙、髪の毛などと交換した。貧しく、金もなかった時代ならではの工夫である。それがごく最近まで引き継がれてきたのである。つまりアメ売りは古物商を兼ねた。子どもたちが持ち寄った交換品の価値によって、もらうアメの分量も変わる。ことわざの「アメ売りの気持ち次第」は、まさにこれに由来する。

 アメは古くは薬用としても使用されたが、そのくっつきやすい性質から「試験に付く(合格する)」という縁起かつぎの品としても重宝がられた。18世紀の『英祖実録』に、科挙試験場でアメが売られるのを放置した罪で、会場の担当官が罷免された記録があることからも、アメを縁起ものとする考えはかなり古くからあったようだ。また、夫婦円満にアメを贈り物にするのも同じ「くっつく」という性質にならっている。

 こんにち、愛すべきアメ売りは姿を消して久しく、かつて交換品だった古着、古紙、古ビン、古鉄などはゴミ置き場に無用の長物として放置されたままだ。無用の長物といえば、数年前南の雑誌に載った、詩『統一アメ』は傑作だ。

 三八線鉄条網はがし/アメに代えて食おう/錆びた鉄線溶かし/鎌をつくり鋤もつくろう/三八線鉄条網ばらしてつくった統一アメ/誰にもやらず/俺たちで分けて食おう

 詩のさわりの部分だけをひろったものだが、軍事境界線の鉄条網を無用の長物にしたて統一アメに代えて食おうとは、なんとも痛快な発想ではないか。(絵と文 洪永佑)

[朝鮮新報 2009.6.26]