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〈朝鮮と日本の詩人-94-〉 長谷川龍生

安重根義士を称えて

 だれか知らない人間が/立ったまま仮眠のまどろみの中に/一つの駅を発見する。/それは植民地の駅。侵略計画の駅。明治四二年十月二十六日朝はやく/はるか灰色の地平線の見えるハルピンの駅頭だ。/シューバーを着こんだ伊藤博文の前に/ひとりの男が突然現れて/プローニング黒色七連発が火を噴いたのだ。/そのとき、一瞬、/プラットホームの時間が停止した。/伊藤博文がぐしゃりと崩れかかっている。/川上領事が右腕を空間に泳がせている。/森槐南が肩をおさえ、よだれをたらし、顔をひんまげている。/中村満鉄総裁がひっくり返っている。/貴族院議員室田義文が白眼を剥きだし、口から泡をふいている。/ロシヤの出迎武官たちが、ぽかんとして直立不動で眺めている。/伊藤博文の血痕が、空間に止まったまま/変色し、凝固しようとしている。

 全27連362行の長詩「皇族駅」のうちの第9連の全部である。

 「皇族駅」というのは、「東京環状線原宿から外回り/代々木にむかって一分」のところにある、ふだんは使われない天皇一族専用の駅のことである。この長詩はこの駅を天皇制のシンボルとし、日本帝国主義を告発している。

 引用した第9連は、いうまでもなく安重根義士の殉国の戦いをテーマにしている。「皇族駅」と「一つの駅」つまり大連駅とを連結させている、詩的構成を読み落としてはならない。狙撃の瞬間の緊張感が「プラットホームの時間が停止した」という詩行で捕捉され、それが「伊藤博文の―」以下2行と呼応して、勃興しつつあった日本帝国主義の朝鮮侵略の野望をえぐり出している。散文風の詩的表現からこの詩のリアリティが感得できる。詩行にあぶり出されている伊藤博文一行の死の無様が、安重根烈士の義挙を称揚している。

 長谷川龍生は1928年に大阪で生まれ、45年頃から小野十三郎を知って詩作を始め、詩誌「列島」の中心的存在となった。現実の動きから素材を選び主観的な情緒にとらわれず、客観的真実を意識化する前衛的詩風をもって知られる。

 朝鮮戦争をテーマにした「逃げる真実」で米帝国主義を辛辣に批判した。詩集に「無言歌」「パウロの鶴」「虎」他がある。(卞宰洙 文芸評論家)

[朝鮮新報 2009.6.8]