〈続 朝鮮史を駆け抜けた女性たちD〉 儒教的倫理観に挑む−金浩然齋 |
「価値の中心 夫ではない」 「自警編」に託した自尊心
朝鮮朝後期、実家、婚家共に名門であった浩然齋(号)金氏は、自由奔放で繊細な感受性と高い文学的素養を併せ持った詩人であり、先駆的知識人であった。漢詩集「鰲頭追致」と「浩然齋遺稿」を執筆、また、当時名家の夫が妻に書いてやるのが普通だった「婦訓書」(妻としての心得書)を漢文で自らが書くほどであった。自らを警めるという意味の「自警編」がそれである。前書きには「両親を早くに亡くし学んだものがないため、嫁した後も…寝ても覚めても不安で一日たりとも平穏ではなかった、その心持を記録し…」と書いた。だが、その内容は自身を卑下する前書きとは大きく違った。実は「自警編」は「婦訓書」の体裁を借りた夫婦白書であり、夫婦という名のもとに夫たちが振るう横暴に対する批判であり、仕方なくこれを耐え忍ばなければならない女性の怒りと忍従、挫折と自嘲を記録したものであったのだ。 彼女が必要以上に自分を卑下して見せたのは、「自警編」が男性にもたらす衝撃と、自分への攻撃を少しでも緩和させるための方便であったのかもしれない。 浩然齋は「自警編」で主に、女性の教育の不平等について疑問を呈し、夫の行状や妻に対する態度によって、女性の精神や行い、幸不幸が左右されてはならないと主張した。
女性にも論理的な教育を
浩然齋は、男性には詩書を教え、女性には容貌の手入れと料理しか教えない当時の教育を批判した。 「女が…早起きし顔を洗い髪を梳かすのは、人間の日常の行為であり一日も怠ってはならないことである(女子…夙興盥櫛、人之常行、一日不可廢者)」(自警編、正心章) 髪を梳かし身綺麗にするのはなにも女性であるからではなく、人として当然のことだと浩然齋は書き、男性には知的で論理的な教育を行いながら、女性には感覚的で外形的なことばかりを強調することを暗に批判する。夫婦間に問題が起こるのは、女性が元来感覚的で感情的なためではなく、男性は聖人君子の書を読み実行することはできずとも知るところが多いが、女性はそのような教育を受けずおしゃれと家事にしか興味が持てないように仕向けられるからであると。そうなると夫との共感など望むべくもなく、夫婦間の意思疎通がうまくいかず、子の教育にも累が及び、家門に害を与えると主張する。
嫉妬の問題を説いた戒妬章では、「…(夫が)百人の妾をおいても妻たる者は見ないふりをし、…嫉妬せず(夫に)尽くさなければならない」という当時の「常識」に対して、正面から反駁する。
「妾とは大きく家庭を乱す原因である。本当に甚だしく不幸なことである。…もし自分に子ができないなら、他の人で代を継ぐのを防ぐことはできないので、自らその身を大切にし、行いを正しく保ち、立派にしていなければならない。すでに子がいるなら、咎は自分にあるのではないのだから、またどうしろというのだろうか(妾也者、大是亂家之本、誠爲不幸之甚、…已若無子則固不可阻絶、他人之續、只當以自保其身、専修其行爲工矣、已既有子、即咎不在我、亦復奈何)」(自警編、戒妬章) 「咎は自分にあるのではなく」夫にあるのに、儒教的倫理観の前で「嫉妬」と言われてしまえば「咎」は女性のものになってしまう。子があるなしにかかわらず、男性が常に「新しい女性を求める特性」を持っているとするならば、これを容認も許しもせず、関与せず、品位を保ちつつ日常を維持するべきだとの主張である。「馬鹿、死ね」と言われたから、自分も「馬鹿、死ね」と言う愚は犯してはならないという、浩然齋の自尊心である。 自立した女性への視座 女性の困難な環境が男性によるものだとの認識から、夫の愛情により妻がその行為を左右されてはならず、夫の愛情が大きければ自分のなすべきことを誠実にこなし恥を知るべきであり、夫に疎外されているなら自らの過失や咎がない以上、心を乱して両親から受け継いだその体を捨てる必要はなく、心身共に大切にし、その生活も大切にしなければならない、と浩然齋は強調する。 「夫婦の絆は篤いものだが、夫が私を疎外するなら、いろいろな事情があれど他人に軽視され、嘲笑の的になることを選ぶことができようか」という彼女の主張は、男性(夫)だけを女性(妻)の幸不幸の中心軸に据えてはならないという、確固たる意志の表現である。 夫婦の関係について「伝統的な婦徳」を乗り越え、新しい解釈を試みたのがこの「自警編」である。浩然齋は結婚生活こそ不幸であったが、その著述によって女性知識人史に名を留めることになった。さて、彼女を疎外した夫は、「金浩然齋の夫」として語り継がれていくことをどう思うのだろうか。(朴c愛・朝鮮古典文学、伝統文化研究者) [朝鮮新報 2009.5.29] |