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〈朝鮮の風物−その原風景 −20−〉 サンナムル(山菜)採り

自然の恵みと「旬の味」

 昨今、山菜採りはちょっとしたブームの観がある。ハイキングとセットにした各地の山菜採りツアーなどがなかなかの人気のようだ。

 古来朝鮮民族は山菜(サンナムル)をこよなく好んで食した。

 旬の季節になると老いも若きも連れ立って、一家総出でサンナムルを求めて山へくり出す。初夏の風物詩である。尹北緒の「採艾図」は、サンナムル採りを描いた数少ない風俗画である。

 筆者にも、幼少のころ母親についてサンナムル採りにいったおぼろげな記憶がある。先ごろ親せきからサンナムルが届き、記憶がタイムスリップした。

 初夏の山はまさに自然の恵みの宝庫である。ウド、ワラビ、ゼンマイ、ツリガネニンジン(トドク)、ヨモギ、タンポポ、フキ、タラノメなど、数えきれない山菜で満ちあふれる。

 これらの芽、若葉、茎、花、根をさまざまに調理して食す。酒を愛でるむきには、和えたタンポポのにが味の利いた風味がいち推しだ。

 落ち葉を座布団代わりに月光の下、サンナムルを肴に一献傾ければ他に要るものはないと乙に詠ったのは書道家韓石峰(16世紀)だが、「洪吉童」の作者許筠は流配の地で、空腹に耐えながら徒然に綴ったレシピ覚書ともいうべき「屠門大嚼」に、さまざまな御馳走とともに数多いサンナムル料理を列挙している。

 また茶山・丁若繧ヘ、流刑直前に兄弟・一族との4日におよぶ野遊を楽しんだが、そこで詠んだ詩は二十数首、食したサンナムルは56種になると書き残している。サンナムルが貴賎を問わず幅広く食されていたことをうかがわせる。

 昨今、山菜は得がたい旬の味を楽しむ食材として、またメタボ気味の人には体に優しいダイエット食として人気は根づよいが、このごろでは山菜を専門に扱う高級レストランがあるとも聞く。

 しかし、実はこれがかつては飢餓状態の中で見棄てられた庶民が命をつなぎとめる命綱として、その過酷な歴史の代価として獲得した貴重な食材でもあったというから、皮肉なことではある。

 いずれにせよ今日わたしたちの食卓には、四季を通じて豊かな食材があふれ、「旬の味」の代名詞ともいえる山菜も、近くのスーパーに足を運べばいとも簡単に手に入る時代になった。その便利さの半面、わたしたちは季節の感覚を失いかけている。

 かつて私たちは自然に対して畏敬の念をもち、ともに呼吸し共生してきた。

 しかし、いつのころからか人間は自然に対して傲慢になった。地球温暖化など、自然環境の急激な変化は、自然の人間に対する無言のしっぺ返しといえよう。

 願わくば、サンナムルはスーパーならぬ自らの足で山にわけ入り、若葉の薫りと小鳥のさえずりを浴しつつ摘みとりたいものだ。(絵と文 洪永佑)

[朝鮮新報 2009.5.26]