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〈朝鮮と日本の詩人-91-〉 盤城葦彦

いまも許してはいない

 一衣帯水の国じゃないか/少しばかり海を隔てているだけだろう/一足飛びで着いてしまうよ/知人は たやすく 安易に言うが

 (2連12行略)

 市街地に 喧噪が あふれている/キムチの匂いも 流れている/パゴダと南山の二つの公園をぬけると/目的地の 国立博物館に着く

 植民地時代の名残をとどめる/総督府と呼ばれた大理石の館/太い柱の前で ガイドが語りはじめると/この国の 弄ばれた歴史に 一気にひきずりこまれ/秀吉が 日本帝国主義が が!が!の 語尾の鋭い刀に 心はひきさかれ/ガイドの頬の涙に 拒みつづけるものをみた

 いたたまれなくなり 外へでてから 大きく深呼吸/しばらくは無言/休息を求めながら漢江の岸辺に佇むと/流域を潤して満々たる水を運ぶのをずっしりと受けとめた/さざ波は 怨念をすくいあげて泡立ち/イルボンサラムの ぼくの耳は/いまも 許してはいないと/ささやく声にきこえた

 李王朝の七百年の文化の粋を象り/夕陽に輝く 南大門/着いたばかりの初日の/なんという重くて長い一日だったか/明日も また/戦いの傷痕にうずくだろうが/拒まれてもいい 許されなくてもいい/短い旅のなかで/この手に温もりを感じたい/アンニョンハシムニカ

 右の詩「漢江の辺り」は、ソウルの国立博物館を訪れたときの詩人の感懐の表出である。詩のエッセンスは「一衣帯水の国」でありながらも、今日でもなお植民地の侵略性を否定する日本的風潮への、詩人の批判と自責の念であり、友好を求める願いである。最終行の「アンニョンハシムニカ」が、作品全体の流れを温かく包みこんでおり、心ある日本人の良心を示す佳品として評価できる。

 磐城葦彦(本名磐城洋一)は1935年秋田県の生まれで、長く金属鉱山の労働組合運動にたずさわった。その間に朝鮮人の苦しい生活を同情と連帯の目で見つづけ、朝鮮をテーマにした秀詩を幾編か残した。詩誌「密造酒」の同人で「雲と草原」「地下水」「残照の大地」他の詩集がある。(卞宰洙・文芸評論家)

[朝鮮新報 2009.5.18]