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〈朝鮮と日本の詩人-90-〉 中村稔

高麗青磁の神秘な青さ

 薄命の海をながれる藍よりも
 さらに淡い器物の青に
 ひたすらに一日の憂悶を鎖す。

 わが祖父たちの奪ったもの、
 わが兄弟たちの掠めたもの、
 ついに奪いえず、掠めえなかったもの。
 自らを恃んで傲らぬもの、
 謙抑にして自らを卑しめぬもの、
 故宮の城壁を画る空よりも
 さらにはるかなるもの

 その淡い器物の青に
 夏を銷し冬を銷し時を銷し
 ひたすらに憂悶を銷し、かえって
 憂悶ふつふつと湧きくるを知る。

 「器物」と題された、(1)李朝、(2)志野、(3)信楽、(4)高麗の4編の連作からなる詩のうちの「高麗」の全文である。

 第1連では高麗青磁の神秘な青さを直喩で浮かび上がらせ、座した詩人は静かに眼前の器物に眼を凝らす。彼は青磁の幽幻な美を感得しつつ一日の憂いと悶えを心底に閉じこめる。第2連では、日本は青磁を掠奪したが、朝鮮民族の矜持、自尊心、謙譲の美徳を奪うことはできなかったことを、空よりもさらに青い青磁のたたずまいから自戒している。第3連は、青磁の数奇な運命に思いを、暑気と寒気と、憂悶を銷そうにも逆に憂愁と煩悶にとらわれる中心を吐露している。名器の醸す靜謐を叙情的に表しながらも、植民地支配への悔恨の情がモチーフの一端をなしているために、単なる叙情詩に終っていない。

 中村稔は1927年に埼玉県に生まれ東大法学部を卒業し弁護士となった。10代の終り頃から詩作を志しソネット風の作品を多く書いた。詩集に「鵜原抄」(高村光太郎賞)、「羽虫の飛ぶ風景」、評論集に「宮沢賢治」「中原中也論」、その他がある。(卞宰洙・文芸評論家)

[朝鮮新報 2009.5.11]