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〈朝鮮の風物−その原風景 −19−〉 洗濯場

噂や世間話の花が咲く

 ひと昔前まで、村はずれの川辺には必ずといってよいほど洗濯場があった。水はけも劣悪だった時代には、川こそ最も洗濯に適した場所といえた。

 こんにち洗濯は、洗濯機にとって代わって久しく、川での洗濯風景など見ることはほとんどないが、往時は四季を通じた欠かせぬ風物詩であり、村の女性たちの重要な社交場であった。

 洗濯場には、申し合わせたように村の女性たちが三々五々集まり、洗濯棒を打つ音にまじってにぎやかな会話が飛び交い、甲高い笑い声がひびきわたる。牧歌的で陽気な風景である。

 洗濯場は、ただ洗濯場としてあるだけでなく、どこそこの家のブタが子を何匹産んだとか、だれそれの息子さんの縁談が決まったとかといったうわさや世間話の花の咲く、いわば村のさまざまな情報の集まる貴重な場である。時にその情報に尾ひれがついて拡散する発信の場にもある。その点、どこかいまのメディアに似てなくもない。

 金弘道の風俗画帳「洗濯場」をみると、洗濯する女性にまじって子どもをあやしながら髪を結う女性が描かれており、この場が女性にとって日常の雑事からしばしはなれ、ひと息つく安息の場でもあったようだ。

 1940年代の清渓川を舞台にした朴泰遠の「川辺風景」は、そうした洗濯場のかしましくも快活な情景を表現豊かに描きだしている。

 ところで「脂察掘」(賃洗濯)ということばからもうかがえるように、かつて「洗濯婦」とよばれた女性が少なくなかったようだ。洗濯を生業とし、一握りの金持ちの衣類などを洗って労賃を得る貧困層の人々である。金も手段もない人々にとっては、自らの労力に頼る以外生きる術がなかったのである。

 「洗濯婦」は、世界的に認められるもので、たとえば王政時代のパリには70万人の「洗濯婦」がいたという。

 ミレー、ロートレック、ドーミエ、ドガはじめ多くの画家が「洗濯婦」や踊り子を描いているのも、社会の底辺に生きる貧しい民衆の多さの反映といえよう。

 「居酒屋」(エミール・ゾラ)で、じわじわと破滅の道をたどる主人公(ジャルベーズ)が「洗濯婦」だったことはよく知られているし、童話作家アンデルセンの母親のアル中の原因が、「洗濯婦」として水に浸かりっぱなしの冷えた身体を温めるために酒を飲み続けたためだといわれている。歴史は常にこうした圧倒的多数の貧しい民衆の犠牲の上に成り立っている。

 最後に、洗濯場が若い男女の愛をはぐくむ出会いの場であったことも付け加えておかねばならない。(絵と文 洪永佑)

[朝鮮新報 2009.4.24]