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在日1世女性が初歌集出版 老い感じさせぬ瑞々しい情感

「折り折りの思い記るせし紙、ノートみんな火の中煙りは空に」
 

京都で評判のお好み焼屋を切り盛りする表明淑さん。母の歌集には、娘一家の暮らしぶりが数多く歌われている。

 「穏やかな性質らしきその男性に娘の倖せをいのりて託す」

 「娘はいつか三兒の母となり笑顔あふるる団欒の日々」

 嫁ぎいく娘の幸せをひたすらに祈る母の思いがあふれんばかりの一首である。第二首は母が願った通りの家庭を築いた娘一家の「今」の姿が切り取られている。

 82首の歌が収められた「蟹座は何処に」(作=おもて よしこ)は、在日1世の女性歌人・金麗水さん(87)の初めての歌集である。

 家族や身のまわりの人々への温かい思い、自然への愛着、亡き人への懐かしさ…、人生の風雪に耐えた人だけが知る深い静けさと透明感がひたひたと伝わってくる。

 金さんは京都でお好み焼屋「こーらい亭」を営む娘の表明淑さん(62)一家と暮らす。高齢ながら心身とも健やかな金さんは、夜遅くまで働く家族の役に立ちたいと、食事や洗濯、家事など何でもこなしてきた。

 「人生は平坦な道ばかりではない。しかし、いいことも悪いことも含めて自分の人生。でも、どんなときも一生懸命に前向きに歩いてきた。いつでも自分自身のことより娘一家の幸せをまず考えてきた。今、そのことを悔いてはいない」

 慶尚北道安東出身。4〜5歳のとき、両親に連れられて妹と共に京都へ。そこには全民族が祖国の独立を訴えて立ち上がった3.1運動に参加した叔父が日本の官憲に追われて逃れていた。

おもて よしこ第一歌集「蟹座は何処に」

 父は北野天満宮のそばの西陣の織元で腕を磨いた。

 しかし、金さんが8歳のとき、母は家族を置いて帰郷。形見として残された指輪も、戦時中の強制供出によっていまはない。母の面影は胸の奥底に封印されたままとなっている。

 「懐かしき母の面影夢に見つ酒の荒海漂う山頭火」

 母への慕情は、知らず知らずのうちに金さんを本好きの少女にした。近くのキリスト教会の図書室にこもり、あらゆる本を読破。この時代に文学好きの土壌が培われた。一方、学校には創氏改名後も、ずっと本名のまま通った。

 「一度、悪童たちが姓の『金』をからかったとき、担任の先生が『おまえたち、よけいなことを言うとしばくぞ』と激怒して以来、そんないじめはピタッとやんだ」

 結婚後、子宝にも恵まれ、順風満帆だった人生が60歳を目前にした頃暗転。生きていくために一念発起して東京の東洋医学専門学校に入学、リハビリの資格を取得、さらに針灸師の資格にも挑戦した。

 「2年間、東京でアパートを借りて学生生活を送った。自立しようと脇目も振らず必死に勉強した」

 ちょうどそんな頃、娘一家がお好み焼屋を開店。大車輪で働く娘から母にSOSが発せられた。

 「店、義母の介護、3人の子どもの世話とダウン寸前だった。母がすぐ駆けつけてくれて本当に助かった」と当時を振り返る娘。

 「一週間程度で済むだろうと、『休学届け』を出して娘の元へ。でも、連日早朝から深夜まで身を削りながら働く娘を放って東京には戻れなかった」と母。

 それから今日まで、一家の頼れる存在として時を刻んだ金さん。歌と出会ったのもその頃だ。

 病院でリハビリの資格を生かしながらアルバイトをしているとき、患者だった短歌の先生と出会い、指導を受けることに。

 「この26年の間に書き綴った歌は、すでにノート26冊分にもなる。心のなかで作ったのはすでに半世紀を超えると思う。つぶやいて、一人で泣いて、消して、忘れて…。そんな風に詠んだ歌ばかり。拙い歌だが、私の生きた証です」

 「凍る夜煌く星へのかなしみは億万光年遠きその果て」

 「折り折りの思い記るせし紙、ノートみんな火の中煙りは空に」

 手塩にかけた孫たちも全員朝大を卒業。長孫・李英哲さんは金さんの文学の才能を継いで、朝大外国語学部教員(日本文学専攻)になり、末の孫・英俊さんは両親を助け、「こーらい亭」を切り盛りするまでになった。「あと孫娘の結婚式までは元気でいないと」と微笑む。

 家族への揺るぎない愛と献身によって得られた充実感。老いを感じさせぬ瑞々しい情感と慈しみが歌集からは立ち上ってくる。

 「おおばあちゃん!=@ひ孫にぱっと背中押され葉みどり深きまどろみは醒む」

 「こーらい亭=@会話の弾むお好み屋食事のよろこび奏でる鉄板」(美研インターナショナル、TEL 03・3947・1021、1000円+税)(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2009.4.3]