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〈朝鮮と日本の詩人-86-〉 内田博

祖国愛は火となって

 あの朝鮮のこどもらは
 わずかな焚火や食料を背にして
 折れるほど腰を曲げて
 泥濘のみちを追われていた。
 住家も樹々も焼けただれた祖国を
 まるで野良犬のように追われていた。
 あのくらい硝煙の空の下では
 民族の意志は火となって燃えているのだ。
 人々は銃を手にして
 外国帝国主義
 売国奴、その手先共に
 立ち向かっているのだ。
 「勝者にへつらう」と言われた日本人民も
 そのはずかしめを
 宿命としない日はかならず来る。

 この詩「公売」は全5連50行の長詩で、引用は第4連の全部である。米帝国主義の野望を、戦時下における子どもたちの悲惨をリアルにリズム化することであぶり出している。祖国は「焼けただれて」はいるが、その廃虚にもひるむことなく民族の意志、つまり敵愾心と祖国愛は「火となって燃えている」。

 強靱で豪毅な朝鮮民族の戦いに戦闘的な詩を送る詩人は、そこから日本人が学ばなくてはならないことを、自分にいい聞かせている。この詩は、朝鮮戦争を、反米独立の手本としているところに高い政治性を生み出している。

 内田博(本名内田弘喜)は1909年に福岡県大牟田氏に生まれた。学歴は小学校卒のみで、少年期から生活苦に耐えなければならなかった。

 32年に日本プロレタリア作家同盟に加わってから「詩精神」「短歌評論」などの同人となった。啄木の研究にも励み、戦時中は「九州文学」「詩と詩人」などに参与して詩作をつづけた。敗戦後新日本文学会に加入して「煙」「コスモス」の同人となり、詩誌「耕」を発行した。

 78年に限定版300部の全詩集(730ページ)を上梓した。この詩はここからとった。(卞宰洙・文芸評論家)

[朝鮮新報 2009.3.30]