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〈朝鮮と日本の詩人-84-〉 島梯二

「柳よ なびけ この道に」

 ガチンと つるはしがはねかえる/石ころだ/ガチンと つるはしがはねかえる/コンクリートのかけらだ

 この道に ぼくらはいま柳をうえるこの道は潮のにおいがする/新潟市東港線/この道は港にゆく道だ/この道は労働者の通う道だ/魚をつんだトラックの走る道だ/野菜をつんだ車もゆく道だ/どっちから歩いたところでこの道の一方は川だ 港だ町だ/この道を朝鮮の人たちが帰る/ニコニコと笑って通る/万歳 万歳と帰る/船にのる 船はゆく まっしぐらにゆく/母の国/朝鮮民主主義人民共和国へ/朝鮮のなかまは/この道を帰る

 この道に/ぼくらは いま/柳の苗木をうえる/朝鮮の人たちと一緒に/ぼくらはいま/つるはしをふるう

 ぼくらは ていねいに穴をほる/こやしのある土を入れる/いたずらものに抜かれぬように/しっかりとうえる/たっぷりと水をくれ/そのほそい体をうえる/よろこびの道に/柳をうえる/柳よ/うたえ/そのほそい体のありったけで/柳よ/お前がうわるとこの道のように/コンクリートのかけらと石ころの/あらくれの土を歩いた人たちのために/祖国をうばわれ/故郷のことばを語れず/「朝鮮」といわれ/「スパイ」といわれ/くわされず/はたかれ/むちうたれ/けられ/焼火箸をおされ/いくさにひかれ/決死隊につかわれ/人間であって/人間でなくても/はらからを忘れず/祖国を裏切らず/その胸に故郷をいだきつづけた人たち(以下6連39行略)

 右の「柳よ なびけ この道に」は、帰国運動に際して日本人の友情の証として植樹された柳の木をうたったもので、今でもこの柳並木は繁っている。在日朝鮮人の苦難の過去と希望の帰国とが融合して詩的効果を顕著にしている。

 島悌二は労働者詩人として「アカハタ」紙や詩誌「詩人会議」に作品を多く発表した。

 この詩は、壺井繁治・阪井徳三編「詩集・仲間たちのあいさつ」(アカハタ文学双書65年)に収められている。(卞宰洙・文芸評論家)

[朝鮮新報 2009.3.16]