〈朝鮮と日本の詩人-83-〉 高橋新吉 |
ファラオの王冠に勝る輝き 鹿の角と樹の枝形の立飾りに歩瑶が飾ってある 「古新羅の王冠」の全文である。「韓国」で国宝に指定されている朝鮮民族の誇るべき文化遺産に魅了された詩人の感銘をモチーフにしている。微に入り細をうがつ詩人の鑑賞眼力は驚嘆に値する。評価においては、かのファラオの黄金のマスク以上だといってはばからない。しかもそこに「貴やかさ」を覚え、さらに朝鮮民族の「やさしさ」を見出している。そればかりではなく、本来ならば、品位とか威厳を放つはずの対象に「生めかしさ」を感じとるというのである。「腕」のしなやかさを、三千里朝鮮ならでは伸びやかさに例えた直喩は、詩人ならではのふくよかな想像力の結晶ともいえよう。 詩の13行の全体をつらぬいている詩想は、このような、燦然たる芸術を創造した新羅時代への鑽仰である。朝鮮民族を敬慕するこの詩人には「半島遊記」という叙情的な紀行文もある。 1901年に愛媛県で生まれた高橋新吉は「ダダイスト新吉の詩」(23年)により日本のダダイズムの先駆者となり仏教観を融合した独自の詩的境地をひらいた。のちに、既成の芸術形式を否定し自発性と偶然性を尊重するダダイズムと決別し、禅の思想に没入するにいたった。この詩に仏教的な冥想感が漂うのも故なきではない。詩集に「戯言集」(34年)、「胴体」(56年)他があり、72年に「高橋新吉全詩集」を刊行した。(卞済洙・文芸評論家) [朝鮮新報 2009.3.9] |