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岡真理著「アラブ、祈りとしての文学」を読む 人々がどのように生きたか

小さき者の無言の声に耳をすまそう
 

 イスラエルの軍事作戦で、徹底的に破壊されたパレスチナ自治区ガザ。パレスチナ人の命など虫けらほどの価値もないかのように、そして愛する者を暴力的に奪われた彼らの嘆きなど一顧の価値もないかのように、日々、人々が−女も男も子どもも老人も−命を奪われ続けた。

 著者は爆撃にさらされ、殺りくされる民衆の側から「人間の歴史の悲劇」を常にみつめてきた。専攻は現代アラブ文学と第三世界フェミニズム思想。3年前に刊行された著書「棗椰子の木陰で」ではこのように自らに問いかけている。

 「かつてサルトルは、アフリカで子供が飢えているときに文学に何ができるかと問うたが、米軍包囲下のファルージャで、あるいはイスラエル軍再侵攻下のパレスチナで…日々、人々が殺されているこのとき、いったい文学に何ができるのかという問いは、アラブ文学に携わる私自身の痛切な思いである」

 本書はそうしたサルトルの問いへの著者の真摯な応答の書とも言える。

 著者はパレスチナ、レバノン、アルジェリア、エジプトなど第三世界の現代作家たちを丹念に紹介しながら、その声に耳を澄ます。「小説それ自体は現実を変えはしない。しかし、小説を読むことは私たちのなかの何かを、確かに根源的に変える。コンスタンティーヌにせよガザにせよ、行ったこともないそれらの土地が、小説を読むことで変貌を遂げる。私のなかで大切な、かけがえのない存在になる」と。小説を通して想像をめぐらせ、その土地やそこに暮らす人々への愛着が生まれ、世界と私との関係性が変わる。それは世界のありようを変えるささやかな、しかし、大切な一歩となると著者は確信する。

他者の命の大切さ
 

著者の岡真理・京都大学准教授

 イラクやパレスチナの過酷な状況を生きている人々の「いま」を形象するすぐれた作品の数々。あるパレスチナ人作家によって書かれた「アーミナの縁結び」。そこに登場する人たちの言葉に彼らの切実な思いが映し出されている。

 「占領がなければ、空も、海も、生も、どんなにか美しいだろう。占領がなければ、空はほんとうの空になり、海はほんとうの海になり、私たちはほんとうの私たちになる。そして、生きることはほんとうに生きることになる…」

 ここには、占領下で人間の尊厳を否定され、日々殺されていく日常を描きながら、あらゆる死に抗して、人が他者の命に寄せる愛ゆえに、世界はなお善として肯定されている。世界や日本のメディアがパレスチナ人を「自爆テロ」や「殉教」といった言葉と関連づけて「死の賛美者」として表象しようとするなかで、パレスチナの人々の「他者の命の大切さ、世界の美しさ」への瑞々しい愛が語られていくのだ。

 しかし、著者は思索をもう一歩すすめて、私たちの人間的想像力と他者に対する共感を喚起するものとしての文学の底力、物語のもつ圧倒的な力に着目してやまない。

 世界から忘れ去られて、苦難にあえぐ人々がもっとも必要としているもの。それは「イメージ」である。他者に対する私たちの人間的共感は、他者への想像力によって可能になるが、その想像力を可能にするのが「イメージ」である。逆に言えば、「イメージ」が決定的に存在しないということは、想像を働かせるよすがもないということなのだ。

「記憶抹消」に抗う

 パレスチナ問題は、どのようにイメージされてきたか。著者の指摘は鋭い。その多くはイスラエルによるユダヤ人のイメージ、イスラエルによるイスラエルのイメージ、そして、イスラエルによるパレスチナのイメージなのだと。

 イスラエル建国によってパレスチナ人が故郷の大地から引き剥がされ、難民となってから60余年。イスラエルの国民的記憶において、パレスチナにおける先住民の存在とその歴史は一貫して否認されてきた。パレスチナ人が住んでいた村500カ所以上を徹底的に破壊したばかりか、地名もヘブライ語に変え、地図からもその歴史的な存在の痕跡が抹消されたのだ。

 1972年7月、ベイルートで暗殺されたパレスチナ人作家・ガッサン・カナファーニー、36歳。12歳で故郷を追われた作家は、異邦で難民として生きる同胞たちの生の経験を、ひたすら小説に描いた。彼の作家的成熟とともに、難民という実存から人間の生と祖国のありかたを根源的に問うものへと変化していく。その死について著者は、「カナファーニーがペンによって、ナクバの記憶を、そして、世界から忘却されたパレスチナ人の生を鮮烈に描くことで、パレスチナ人のイメージを世界の記憶に刻みつけようとした作家であったからに違いない」と喝破する。

 大切なのは、人々がどのように生を営んだか、何を愛し、何を慈しみ、何を大切にして生きてきたか。そこに想像力をめぐらせ、祈ること。文学は「祈る」ことしかできないと 著者は言う。小説はそこにいない者たち、いなかった者たちによって書かれる。4.3事件の悲劇を書き続け、「火山島」(金石範著)という一大巨編が生まれたと著者は指摘する。死者に向き合い、その無言の声に耳を澄ますこと。何人であろうと小さき者の生活の襞に分け入り、その尊厳と現実を記録し、故郷の「メモリサイド(記憶抹消)」に抗するのが小説の力であると。

 アジアの東と西に位置する朝鮮とパレスチナ。著者は以前、本紙へのインタビューで日本はまさに「東アジアにおけるイスラエル」として、「米国の存在によって日本とイスラエルはその植民地主義的暴力の行使に対する責任を問うことを免れ続けてきた」と述べたことがある。パレスチナの人々に思いを寄せ、そこで生み出された小説を読み、語ることで、私たちもまた、パレスチナの人々と固く手を結ぶことが可能になってくるのである。(みすず書房、TEL 03・3814・0131、2800円+税)(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2009.3.6]