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〈続 朝鮮史を駆け抜けた女性たちA〉 女性だけの義務ではない−師朱堂李氏

過去の書は参考にならぬ
 

イメージ画(尹徳熙「読書する女性」より)

 師朱堂李氏(1739〜1821)は「胎教新記」を書いた動機を、その序文に書いている。過去の書は参考にならないので、自分の経験を基に書いた、というのだ。「女範曰、上古賢明之女、有娠、胎教之方必愼、今考之諸書、其法、莫有詳焉、自意求之、蓋或可知矣、余以所嘗試於數四娠育者、茆為一編、以示諸女、非敢ボ自著述、夸耀人目、然猶可備内則之遺闕也」(「胎教新記」31面)。

 堂々とした、自信に満ちた表明である。

 「胎教新記」はその名が示すとおり、胎教について書かれた朝鮮王朝末期の本である。師朱堂李氏が漢文で書きあげ、息子である柳僖(1773〜1837)が1801年にハングルに訳した手稿本などが現存する。内容は胎教の意義と効用、方法などを説明し、胎教の重要性を強調、積極的な胎教の実施を強く勧めている。10章からなり、1章は胎教の道理、2章は胎教の効能の説明、3章は胎教の重要性、4章は胎教の具体的方法とその説明、5章から9章までは胎教の重要性を再強調、10章では夫の胎教に対する責任を主張し、全章を通して胎教の理論と実際が書かれている。

父親の責任と役割強調
 

「機織」(金弘道画)

 当時、過去の胎教論では妊婦が胎教の責任のすべてを負わねばならなかった。だが師朱堂李氏は、お腹の子の父、あるいは嫁ぎ先の家族にも胎教の役割を担う責務があるという主張を明らかにしている。たとえば「胎教新記」第4章では妊婦の行いの注意点と共に、「胎教は家族が一丸となりなさねばならない」「家族全員が妊婦を保護しなければならない」と、家族の責任について書いている。

 とくに、妊婦が心穏やかに生活することは胎教にとってとても重要だと説きながら、感情の乱れに対する責任を当の女性だけに課すのではなく、女性を取り巻く「環境」に言及している部分は革新的でさえある。たとえば七去之悪のうち嫉妬は大いなる悪であるが、それが男性による蓄妾や妓房への出入りが自由であった状況によるものであり、「妊婦が怒り、恐れ、怯え、驚く」のは相当部分この外部の「環境」のせいであると暗示した。師朱堂はただ単に胎教の次元で言及しているように見せながら、当時の士大夫達の二律相反する視点に批判を試みたといえる。一般的に妊婦が怒り、怯えるのは、妊婦特有の「鋭敏さ」のせいだとする当時の風潮に対し、師朱堂は「胎教新記」で一度も「妊婦はとくに感情が鋭敏になりやすいので」という文言を使っていないばかりでなく、周囲の「環境」が妊婦の健康に悪影響を与え、これが胎児にも悪影響を与えるという事実を指摘している。

 「胎児の環境が悪くなり、妊婦の精神が病み、鬱になり、ついには癲癇の引き金になる」(「胎教新記」64面)のは、妊婦の感情を平穏に保てなくする「環境」のせいであると主張する。だからこそ「胎教新記」では、父親の役割と責任が何よりも強調されている(「父生之、母育之、師教之、一也。…故師教十年、未若母十月之育、母育十年、未若父一日之生」胎教新記35面)。

 また、「胎教新記」を注意深く読むと、「求嗣」という単語を一切使っていないことに気づかされる。当時求嗣という単語は、後継ぎを産むことと妊娠が同一視され、ほぼ懐妊と同じ意味で使われることが多かったのだ。女性は「世継を産む道具」ではなく、妊娠は単純に子を産む行為なのだとの師朱堂の強い認識がうかがえる。

思慮深い知識人として
 

「胎教新記」(原文)

 師朱堂李氏は朝鮮王朝後期を代表する知識人であり、実学者でもあった。彼女の父は、「昔の有名な儒者の母の中で文盲はいない」と常に娘の学問を励ましたという。22歳年長の夫の後添いとして婚姻、年老いた姑の面倒を見ながら1男3女を儲け育て上げた母でもあった。嫁ぎ先の親族は「あの新婦は疲れを知らず、怒っているところを見たことがない」と、夫は「夫婦として大切であり、道義を論ずることができる友のような」存在だと激賞している。一人息子の柳僖は、国語学の研究書「諺文志」の著者である。また彼女の娘たちは、「母は経書に精通し、あらゆる書物を読んでいただけではなく医書や俗説にまで通じ、少しでも知識になるものであれば取り入れていたようだった」「母は私が幼い頃から、機を織ったりわらじを編んだり、家事をしながらその合間に『四書五経』や『春秋』などの歴史書を広く研究していた」と述懐している。

 「胎教新記」に見える革新的な意識とはまた違う、現実と折り合いをつけるバランス感覚を持った、伝統的な意味での良妻賢母でもあったことがうかがえるエピソードである。(朴c愛・朝鮮古典文学、伝統文化研究者)

[朝鮮新報 2009.2.27]