top_rogo.gif (16396 bytes)

〈朝鮮と日本の詩人-82-〉 南邦和

涙さそう民族の流す涙

 ざくり/包丁を入れると/俎板の上に氷片が散る/白菜の断面を彩る民族の意匠/キムチは まぎれもなく/朝鮮の味だ

 (以下2連12行省略)

 オモニたちの純白のチョゴリも/そのひびわれた掌も/真赤に燃えたキムチの季節/大根と白菜の白さが/旗のように黒土を埋めつくし唐辛は低い軒下を焦がした

 (以下3連18行略)

 ざくり/白菜のように両断された半島は/その断面に唐辛よりも赤い/血のしたたりを見せている/銃架となって延びる38度線の北と南に/キムチを囲む民族の不幸な晩餐がある

 ひりひりと舌にしみ 涙をさそう キムチ/唐辛のせいではない 大蒜のせいではない/この民族の流す涙は/飢餓の冬を背負い/ベトナムの湿地にさえ若者を送りこむ/その残酷のせいだ。

 キムチはよく朝鮮の換喩として用いられ、技巧としては稚拙な感を抱かせることがある。

 しかし、白菜の断面を「民族の意匠」という詩語で表示していることで、そのつたなさは払拭されている。

 引用部分の第2連はキムチの民族的表徴が見事な詩趣でとらえられている。

 それが、第3連と4連に移ると、急激に政治詩のリズムに転換する。ここでは、キムチは民族分断の悲劇のメタファーとなっている。

 さらに、ベトナム戦争に狩り出される若者の残酷な運命に思いをはせることで、朴正煕軍事政権への批判を鮮明にしている。

 南邦和は1932年に江原道で生まれた。

 13歳で日本に帰り宮崎県日南市に住み22歳頃から詩を書き始め、詩集「原郷」「ゲルニカ」などに朝鮮に関する作品が数編ある。

 この詩は「南邦和詩集」(03年 土曜美術社)に収められている。

 (卞宰洙・文芸評論家)

[朝鮮新報 2009.2.23]