top_rogo.gif (16396 bytes)

〈朝鮮の風物−その原風景 −17−〉 綱曳き戯

豊穣願う民衆のパワー

 詩人許南麒は、「朝鮮歳時記」で朝鮮民俗戯の綱曳きを「索曳き」と表記している。小学校の運動会のそれと混同されることを避けるため、あえて当用漢字の綴りを無視したという。

 規模の大きい民俗戯として知られる慶尚南道の霊山綱曳き戯や、忠清南道の機池市綱曳き戯をみると、使用する綱の長さだけでも数百bにもなり、太さも1メートル以上で、その重量たるや数十トンにもなろうとてつもない大きさである。それに参加者も村対村、町対町の規模でまさに住民総出という圧倒的スケールであってみれば、「索曳き」のこだわりも十分うなずける。

 

 綱曳きの歴史はかなり古いといわれるが、記録としては「東国與地勝覧」(15世紀)が初出で、「照里戯」「索戦」「葛戦」などの表記で著されている。

 その分布は朝鮮全土に及ぶが、主に中南部地方が盛んで北部にいくにしたがって減少する。この民俗戯が農耕、とくに稲作と深いかかわりをもつからだという。

 綱曳き戯は、普通旧の小正月、すなわちその年初の満月の夜に東西の村の間でおこなわれる。両村ではこの日のために前年の年末から村民総出で綱のあざないにとりかかる。西の村が雄綱、東の村が雌綱を受け持ち、約1カ月がかりでないあげた綱は当日村の境界に引き出され、合体させる。結合された雄綱と雌綱はピニョとよばれる木棒を差し込んで固定する。合体儀式に性的要素が濃厚に表れるのも、この綱曳き戯のもつ農耕的性格の反映だという。

 こうして五穀豊穣と平安を占う綱曳き戯が三日がかりでおこなわれる。トータルで雌綱側が勝てば豊作、雄綱側の勝利なら疫病をまぬがれるといわれる。双方とも農楽隊をくりだし、ケンガリ、小鼓、ジン(鉦)を打ち鳴らしてかまびすしい応援合戦を展開する。

 数千の村人が足を踏ん張ると砂塵が一面に舞いあがるなか、地鳴りのような叫びをあげて渾身の力を込めて曳きあう様は、まさに壮観というにふさわしい。豊穣と平安を願う村民の気持ちが強烈なパワーとなって激突する瞬間である。

 朝鮮朝時代末期の詩人黄[はその著「上元雑詠」で、民俗戯の綱曳きに表れた民衆の力の結集を誇らしく詠っている。その反面で「東海の強欲な鯨(日本)」の侵略を防げなかったことを慨嘆する。

 事実、植民地時代日本官憲は、綱曳き戯に結集した人々のすさまじいパワーと気勢に恐怖心を抱き、さまざまな口実をもうけて各地の綱曳き戯を禁止した。そのため、解放前の段階で数多くの綱曳き戯が姿を消した。

 抹殺の憂き目にさらされた綱曳き戯は、解放後民衆の手でみごと復活し、こんにち村民の団結親ぼくを培う民族伝統遊戯として大切に保護伝承されている。(絵と文 洪永佑)

[朝鮮新報 2009.2.20]