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二つの高句麗土城発掘

道路施設などの遺構も

 最近、社会科学院考古学研究所は黄海南道新院郡長寿山一帯で二つの高句麗土城を発掘し、新たに道路施設を発見した。

 今回の調査発掘の過程で、高句麗時代の二つの土城−峨洋里土城と都麻洞土城、高句麗南平壌都市里坊(中世の都市区画)の道路遺跡、高句麗の優れた文化を見せる各種の瓦と石造肘壺、花崗岩で加工した石灯籠を支える柱石、8角形土台石など多数の遺跡と遺物が出土した。

 このほかにも、古代の住居跡一つと高麗時代の寺址なども発掘された。

 峨洋里土城は、長寿山城南方の新院郡峨洋里所在地地域に位置している。高句麗が南方進出を積極化していた4世紀中葉以降の時代に築いた宮城遺跡であり、都麻洞土城は、長寿山城外城南門の防御を補強するために築いた城である。

 これらの土城の発掘により、峨洋里土城の周りが2.5キロあったことや城壁の構造と築造方法を確定することができた。

 南平壌に都市里坊が位置していたことを示す道路遺跡は、峨洋里土城内と載寧江対岸の月堂里地区で発掘された。峨洋里土城内の道路施設は、地面から深さ50センチのところで発見されたが、道路の幅は2.9メートル、敷石の厚さは20センチほどである。月堂里地区では、幅が2.6メートル、4メートルの道路施設も発見された。

 発掘された遺跡、遺物は、高句麗が三国統一を実現するための南方進出の拠点、副首都として設けた南平壌都市の規模と山城と宮城、その前の広い都市から成る都市構成形式を解明するうえで極めて価値のある資料となる。(朝鮮通信)

[朝鮮新報 2009.2.18]