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〈朝鮮と日本の詩人-81-〉 片羽登呂平

細菌戦の残虐非道暴く

 かぶと虫や。
 蜘蛛や。
 蚊や。
 蚤や。
 虱や。
 蒼蝿や。
 南京虫や。
 赤痢菌や。
 ペスト桿菌や。
 コレラ螺旋菌や。
 発疹チフス病原体や。
 李承晩氏や。
 ヴァンフリート氏や。
 マーフィー氏や。
 吉田茂氏や。
 いま。
 朝鮮はさながら二十世紀の文明を一堂にあつめて。
 星条旗はへんぽんと。
 秋くさい空にはためく。

 右の詩「一九五二年の唄−細菌弾投下」は、朝鮮戦争たけなわの52年の10月に発表された。アメリカは石井「731部隊」から入手した細菌戦の資料を実戦に用いた。これに対して国際民主法律家協会は調査団を朝鮮に派遣して米国の犯罪行為を暴露・断罪した。この詩は昆虫名と細菌名を1行ずつたたみかけるように並べて「や。」と結び、つづいて侵略戦争を主導した4人の氏名(ヴァンフリートは米第8軍司令官、マーフィーは駐日米大使)をあげて、同じく「や。」とおさえている。「。」がすべての行末につけられているために緊迫感を生み、それが細菌戦の残虐非道を鮮明にしている。「朝鮮はさながら−」以下の3行は米国文明の荒廃を象徴している。

 1923年に盛岡で生まれた片羽登呂平は41年から詩を書き始め、47年に日本共産党に入党して、日本民主主義文学同盟、詩人会議に属した。詩集にはこの詩を収めた「旗のある風景」他4冊がある。(卞宰洙・文芸評論家)

[朝鮮新報 2009.2.17]