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北の小説「ファン・ジニ」を翻訳・出版して

ずば抜けた描写力 人間臭さ、朝鮮民族のユーモア感覚が随所に

 「真伊は内城の南大門を抜けて外城の午正門へと通じる旅籠街を歩いていた。…濁り酒や味噌チゲのにおいに、汗臭さや熱気が入り交じって通りに満ちあふれている。外城の下までびっしり立ち並んだ家々の屋根の向こうには竜岫山がそびえ、山の中腹まで覆った乳色の霧が、傾きかけた夕日に照らされて金色に染まり始めた」

 開城の街を生き生きと、魅力的に活写したこの文章は、朝鮮民主主義人民共和国の歴史小説家、洪錫中が2002年に発表した「ファン・ジニ」(拙訳)の一節である。

性描写、猥談も

「ファン・ジニ」全3巻 各1500円+税 朝日新聞出版(TEL 03・5540・7793)

 黄真伊は朝鮮王朝時代に実在した有名な妓生であり、女性詩人として名を馳せた。その才能と美貌はさまざまな伝説として、現在に語り継がれている。「ある若者が一目惚れして恋の病で死に至った」「王族の一人が真伊の詠んだ詩に我を忘れ、思わず落馬した」「生き仏として名高い禅寺の高僧が、ついに戒を破った」など、さまざまな逸話に彩られている。

 植民地期の李泰俊をはじめとして、多くの作家が黄真伊に材を取って小説を著してきたが、洪錫中の「ファン・ジニ」を特徴づけるのは、冒頭にあげた引用のように、何と言ってもそのずば抜けた描写力だ。読み進むうちに、読者は自分が500年前の開城の街に迷い込んだような錯覚を起こすことだろう。

 次には、多彩なことわざや比喩の使用だ。「青々とした山が年老いるほどの長い時間」「卵にも毛が生えてないか確かめるほど用心深い」「クッに行った母親がみやげの餅を持ち帰るのを待ち焦がれる子どものような気持ち」「洗った白菜のように色白のソンビ」等々、朝鮮人のユーモア感覚が凝縮されているような言い回しが随所に現れる。また、これまでの共和国の小説ではまず見られなかった露骨な性描写や猥談なども、作品世界を人間臭く彩っている。

洪命熹の孫

 もう一つは、真伊を慕うノミという男の存在である。ほかの黄真伊作品には登場したことのない、架空の人物だ。両班の黄家の下僕だったノミは、根っからの荒くれ者でありながら、子どもや遊郭の妓生にはなぜか慕われる。黄家のお嬢様≠フ真伊に秘かな恋心を抱くが、二人の間に立ちはだかる身分の高い壁に絶望し、山に入って火賊(義賊)となる。

 ノミは真伊が両班の令嬢から妓生へと大きく運命を変える転換点で、重要な役回りを演じる。この作品は、ノミの存在なくしては成り立たないのだ。

 では、ノミとは何者なのか。そのヒントは、著者が植民地期の文豪で歴史大河小説「林巨正」を著した洪命熹の孫であるという点にある。

 ノミというのは、実は林巨正の幼名でもある。また本書には脇役として、南小門党というソウルの無頼漢の徒党や、開城の松岳山大王堂の巫堂などが登場するが、これも「林巨正」と共通している。物語の時代背景や、両班社会に対する痛烈な批判などを考え合わせると、「ファン・ジニ」は「林巨正」の番外編とでもいうべき位置づけの作品と見てよさそうだ。

 加えて、洪錫中の描写力とストーリーテリングの巧みさは、間違いなく祖父、洪命熹の才能を譲り受けたものと言えよう。とくに、胸を患った遊女ヒョングムを救うために、ノミが薬を求めてソウルの街を歩き回る場面などは、実際にソウルの路地裏まで取材したかのように精緻だ。著者は1941年にソウルで生まれ、1948年、南北連席会議に参加した祖父にともない平壌に移り住んだ。当時7歳だった著者の脳裏には、自宅のあった鍾路の一帯や清渓川の風景がいまも刻み込まれているに違いない。京畿道方言をふんだんにちりばめた登場人物たちの味わいある会話も、著者の古い記憶から引っ張り出されたように思う。

家族とは何か

 南北朝鮮を通じて、これほど語彙の豊富な作品はめったにない。翻訳にあたり、一番頼りにしたのは「朝鮮語大辞典」(平壌・社会科学出版社)だったが、おもしろいことに、初めて目にする単語や言い回しを引くと、その例文にしばしば「林巨正」の一節が引用されていた。祖父の作品を、著者がいかに愛情を込めて読み込み、血肉にしたかという証左だろう。

 本書の表のテーマが、「林巨正」を引き継いで、硬直した官僚社会の矛盾を突くことにあるとすれば、裏のテーマは、「家族とは何か」という古くて新しい問題に一石を投じることにある、と私は読んだ。

 真伊はソウルの両班家に嫁ぐ直前になって、父の黄進士が下女に生ませた子であるという出自が暴かれる。婚約は解消され、世間体を気にする親からも縁を切られた真伊は、家を出て妓生の世界に飛び込む。そしてお付きの婆や、下女のイグミ、その恋人のケットンイとともに、一つ屋根の下で暮らすことになる。血のつながりのない、一種の疑似家族をつくりあげるのだ。ノミはその過程で触媒の役目を果たす。

 血のつながりはあっても、実は打算で結ばれた利己的な家族と、寒風の中で他人同士が身を寄せ合うように、強い情で結ばれた疑似家族。いったいどちらが本当の家族なのか。そこに著者と共和国社会の家族観がかいま見えるといったら、うがちすぎだろうか。

◇      ◇

 開城市内には黄真伊の墓が残るという。これまで平壌とソウルから、二度にわたってこの美しい古都を訪問したことがあるが、残念ながら真伊の墓参りをする機会はなかった。次に開城を訪れたら、ぜひ本書とともに花を墓前に手向けたいと思う。

 青草の茂れる道に/横たわり眠れる君よ/紅顔はいずこへと消え/埋もれるは白骨ばかり/杯を取り勧める者なきを/ただ哀れとぞ思う(白湖・林悌が黄真伊の墓前に捧げた時調。本書より)(米津篤八、翻訳家)

[朝鮮新報 2009.2.9]