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くらしの周辺−ある日本人教師を見舞い

 昨年末、ある病院を訪ねた。

 私が朝青の仕事をしていた若いころから、私たち在日の活動を支援してくれた日本学校の先生をお見舞いするためだ。今ではお年を召されて退職されたが、その熱意になんら衰えは見られない。

 先生と他愛もない話を重ねるうちに、過去の記憶がよみがえってきた。とくに広島で10余年前に日校生(日本の学校に通う在日の生徒)活動が盛んだったのは、先生のご尽力なくしては語れないものだ。

 しかし、その後在日をとりまく情勢はとめどなく変化した。

 日本社会自体も激変し、朝・日友好運動をはじめとしたさまざまなことに影響を及ぼすようになった。

 「平和都市」と言われる広島でも然り。02年9.17以降、広島県と広島県教育委員会が、県内で毎年行われてきた金剛山歌劇団公演の後援団体から外れるという通達文を送りつけきたのも、ひとつの象徴的な事柄といえよう。拒否を告げる文書の内容は、耐え難いほどに不当なものだった。

 今年に入って、進歩的な日本の団体がこれについて正式な抗議をしたにもかかわらず、今なお頑なに拒否の態度をとり続けている。

 かつて「朝鮮通信使」のフィールドワークで、先生が語られたことがある。ご自身が学生だったころは、「朝鮮通信使」の存在すら学ぶことがなかったそうだ。

 現在の日本の社会情勢は、ある意味で戦前のそれと重なる部分がある。

 今は試練の時だが朝・日国交正常化のそのときまで、先生が健康を回復してくださることを願って病院をあとにした。(呂世珍・団体職員)

[朝鮮新報 2009.2.6]