top_rogo.gif (16396 bytes)

〈二人の人物に寄せて−下〉 朝鮮人の血を吸って肥え太った

 島主になった麻生商店はさっそく「森林保護組合」「土地経営組合」なるものを設立し、こまごまとした規則を作って島民の伝統的な生活慣習を壊し、土地を収奪した。島民の自由な林伐採を長くの「悪弊」と決めつけ、「盗伐」としてきびしく罰したという。島民と麻生商店の間で、深刻な紛争が多発したことであろうと十分推測できるが、「傳記」や「安眠島」ではそのことについて記述を用心深く避けている。

 だが、島民との争いを危惧する短い記述が「傳記」にある。安眠島の島民が誰に断ることなく林を伐採したり、空き地に畑を耕す行為は、天が与えた権利であったかも知れないがと前置きして、「そこへ麻生商店が突如として入り込み、盗は罪し、侵は罰するという新しい規則を樹立したのだから、島民と折衝の如何では、あるいは怨嗟の的となりかねない」。

多くの朝鮮人が強制連行された筑豊の豊洲炭鉱

 麻生商店は、島とは別に江原道金化郡遠東面にある鉱区250万坪の有望な金鉱山を1933年(昭和8年)11月に所有した。金の産出量や採掘実態についてはいっさいふれられていないが、麻生財閥の富の形成になんらかの貢献をしたことはまちがいないであろう。いずれにしても安眠島の件もあわせて実態解明が必要であろう。

 麻生首相は、政界入りする前に、麻生セメントの社長として麻生グループの経営に采配を振るってきた人物である。麻生セメントの前身が麻生鉱業所であったことを考えれば、自分が直接関係しなかったとはいえ、強制連行朝鮮人鉱夫の労務実態について知り得るもっとも近い立場にあり、関連資料の公開についても決断と指示をできる権限も持っていた。しかし、現在に至っても麻生会社は、強制連行の事実を否定し、資料公開もかたくなにはばんでいる。

多数の無縁仏

 このような状況下で、月刊雑誌「世界」2009年1月号の「麻生一族の過去と現在」は、労務実態の一端に触れたものとして注目される。その記事によれば、「筑豊の炭鉱で事故や病気、虐待などで亡くなった朝鮮人は数知れず、いまだに無縁仏として眠る遺骨も少なくない」と続いて、「そんな炭鉱の中で、とりわけ朝鮮人を低賃金で酷使したとされるのが、麻生鉱業所の炭鉱だった」と指摘する。また、麻生鉱業所は、「現地政府の朝鮮総督府からここの村で何人≠ニいう割当をもらう」ことによって、その朝鮮人労務者数は、「福岡県の中ではもっとも多く7996名(1944年1月現在)」だったという。しかも炭鉱からの逃亡者数、逃亡率も福岡県最高で、死亡者数もいつもトップクラスと告発する。

 筆者は、麻生鉱業所の非道を象徴する一話も紹介している。

 麻生系列の吉隈炭鉱が火災になったとき、炭塵爆発を恐れた会社側が、朝鮮人入坑者が残存しているにもかかわらず、坑内を封鎖した悲惨な話である。遺体の爪は剥げ落ちていて、出口を求めて土をかきむしったためと見られているとのことだ。

 この非道に重ねるような麻生会社のおぞましい所業も暴露されている。それは、事故現場の炭鉱跡地に「麻生飯塚ゴルフ倶楽部」を造成し、麻生首相がそのゴルフ場の理事長に就任しているということである。

 こうした麻生財閥の過去をたどると、大富豪にのし上がった今日の隆盛が、少なからず朝鮮人の犠牲の上で実現し、朝鮮人の血と汗、涙で得られた富をむさぼっているような気がしてならない。麻生炭鉱周辺で長く居住していた高齢同胞に、麻生家への感想を聞いたところ、「朝鮮人の血を吸って肥え太った悪い奴」と吐き捨てるように言ったことが耳に残る。

 麻生首相は総理就任時に、朝鮮とアジア諸国に対する侵略を認め、真摯に反省、謝罪する「村山談話」を踏襲すると公言したが、総務大臣時代の妄言を謝罪し、撤回したという話をいまだに聞かなければ、自分の足元の炭鉱における強制連行犯罪について、積極的に実態を明らかにして謝罪したいという話も聞いていない。

 麻生首相は、漢字の読み間違いで首相の資質まで問われるハメになったが、踏襲を「ふしゅう」と読み間違えたことは、ひょっとしたら「村山談話」を心底から認めたくない深層心理が働いて、故意に間違えたのかと邪推したくもなる。満面に笑みを浮かべ、精いっぱいの愛嬌をふりまいて、アジア諸国の首脳と何度握手しようが、「村山談話」を真に踏襲しなければ、友好も和解もできない。(南永昌、歴史研究者)

[朝鮮新報 2009.2.2]