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劇団「タルオルム」−「ゆらぐ」 記憶の封殺 いのちの輝き

 1923年9月1日に発生した関東大震災の時、約6400人の朝鮮人が日本の官憲と民衆によって虐殺された。それから72年後の1995年に起きた阪神大震災では、人々は国境や民族の垣根を越えて助け合った。

 その二つの大震災の悲劇を体験した在日朝鮮人一家を巡る悲喜劇を描いた舞台「ゆらぐ」(1月23〜25日、東京・新宿タイニイアリス)を上演したのは、4年前、大阪で旗揚げして以来、済州島4.3事件、統一問題、民族教育など硬派の演劇を手がけてきた劇団「タルオルム」。

よぎる悪夢

封印されてきた関東大震災の恐怖

 脚本、演出、出演の一人三役をこなしたのは、同劇団の金民樹団長(34)。関東大震災から85年目を迎えた昨夏、この事件を風化させてはならないと、歴史の悲劇に向き合おうと決めた。仲間たちとともにこの虐殺事件の目撃者で、99年日弁連に人権救済申立をした後、2年前に他界した故文戊仙さんの遺族を千葉まで訪ね、話を聞いた。

 「文さんは当時15歳。東京都品川区の叔父の家に避難していると、日本刀やとび口を持った日本人が『朝鮮人は悪い奴らだから皆殺しだ!』とわめきながら乱入してきた。父の友人が目の前で殺された」。そうした壮絶な体験をした1世の記憶をどう舞台化するのか、3世の金さんは悩んで悩みぬいたという。

 また、阪神大震災が起きた時、朝大生だった金さんはそのニュースを知ったときの衝撃を振り返る。「私もそうだが、同胞たちのほとんどの脳裏に、一瞬、関東大震災の悪夢がよぎったはず」。しかし、実際には、「阪神大震災では文字通り『隣人』同士が助け合った。被災した在日同胞と日本の人々らが『避難所』として集まってきたのは地域のウリハッキョだった。そこに届けられた救援物資を人々が互いに分け合うという想像もしなかった光景が生まれた」。

 70余年の時を超えて叶えられた人間の理想、そして夢。金さんは演劇仲間の日本人スタッフたちにも温かく支えられてきたことにも感謝しながら、二つの震災をテーマにした脚本を書き上げた。

勇気持って

阪神大震災直後の避難所で朝・日の人々が見守るなか生まれた新しい命

 幼い頃、関東大震災の朝鮮人虐殺を目撃した1世のハルモニ(卞怜奈)が、94年の大晦日に娘(姜愛淑)が暮らす神戸へ。そこに臨月の孫娘(林寛子)も合流し正月を迎えることに。三世代同居の新春を寿ぐ運命の日、一家は阪神大震災の直撃を受けた。避難所で過去の恐怖の記憶に苛まれ、再びあの愚行が繰り返されるのではないかと震えるハルモニ。避難所で産気づく孫娘を国籍を超えて助け、励ます人々。そして誕生したいのちの輝き。上演中、客席からは何度もすすり泣きの声が広がっていた。

 同団の初の東京公演を約150人の観客らが温かい拍手で迎えた。金民樹さんは舞台の成功を喜びながら、「過酷な歴史を生き抜いた在日の家族の物語は普遍的。世代を重ねても1世の記憶や体験を失わせてはならず、語り継いでいかなければならないと思う。と同時に、朝・日の人々が互いを色メガネで見たり、偏見を抱くのではなく勇気をもって一歩踏み出してほしい」と願いを込めて語った。(朴日粉記者、写真はいずれも盧琴順記者)

[朝鮮新報 2009.2.2]