〈朝鮮と日本の詩人-78-〉 野口清子 |
パパは行った 戦いへ ぼかぁ知らない ぼかぁ知らない 右の詩「基地の子」は、第1部が6連38行、第2部が4連39行で、引用は第1連と第2連の全部である。詩の形式は朝鮮戦争で犬死した米兵と日本人女性との間に生まれた混血児「ぼく」が物語るというものである。戦争の苛烈さを「色」であらわすというイメージが、この詩人が並の詩人でないことを物語っている。「朝鮮半島が凸凹になり」と言う1行も、「かいせん病のようにただれ」という1行も、全国が焦土と化した戦火の現実を直喩でとらえている。6、7行で草花と小鳥を詩行に織り込むことで、反戦詩というこの詩のテーマの硬さを叙情的に柔らげている。それだけに米侵略軍の盲爆が、草花と田畑と生きもののすべてを焼きつくす、非人道的なジェノサイド(集団虐殺)であることを浮き立たせている。第2連の「絶望的−」「山火事のような−」の2連は、朝鮮戦争が米兵にとってまさに地獄に投げ込まれるような、意味のない死を強要される戦争であることを顕示している。 野口清子は菖蒲園で名高い東京[飾区の堀切で、花栽培農家の末娘として1930年に生まれた。夜学の日本文学学校で学んで新日本文学会に属し、57年にガリ版刷りの第1詩集「花市場」で遠地輝武に認められた。立川市に住み、砂川基地反対闘争をつうじて社会派の詩人として成長した。64年に刊行された第2詩集「基地の子」(新日本詩人社刊)は反戦平和のモチーフにつらぬかれた作品を収めている。(卞宰洙・文芸評論家) [朝鮮新報 2009.1.27] |