「戦時に相応する行動」で朝米間の矛盾激化 |
米主導の包囲網に対応措置 朝鮮の人工衛星打ち上げを非難した国連安保理の議長声明が採択された後、朝鮮半島問題をめぐる攻防は軍事的対立の様相を見せ始めている。朝鮮戦争停戦協定の法的当事者である国連が制裁を実行に移す中、南朝鮮は大量破壊兵器拡散防止構想(PSI)への全面参加を決定した。朝鮮はこれを宣戦布告と見なし、「戦時に相応した実際的な行動措置」(5月27日、祖平統声明)で対応するという立場を示した。朝鮮半島に戦争の火種を残す朝米両交戦国間の矛盾が一気に表面化している。
停戦協定の破棄
1953年に締結された停戦協定は戦闘行為の一時中断を宣言したにすぎない。2009年上半期、朝鮮半島をめぐる動きは、同地が依然として戦争状態にあるということを示している。 他国の人工衛星打ち上げを制裁の対象として議論したことがない米国が、唯一朝鮮の衛星だけを問題視した。米国は衛星打ち上げを「弾道ミサイル発射」と見なし、国連を舞台に強権外交を展開した。 近年、6者会談の枠組みの中で朝鮮半島非核化の問題が論議されてきたが、国連を舞台にした現在の事態は、交戦双方である朝米両国の敵対関係が少しも変わっていないことを示している。 経済復興と密接に関わる朝鮮の宇宙開発計画を「挑発」だと一方的に非難する米国の傲慢さを批判する国はなかった。 朝鮮は大国の二重基準に反対し、自主権行使の正当性を主張した。議長声明採択後は、自主権侵害と敵対行為に対する「自衛的措置」に言及した。 しかし、停戦協定の当事者である米国は態度を変えようとせず、ほかの国は朝鮮を二度目の核実験に追い込んだ状況を傍観するだけだった。 朝鮮に対する国際的な制裁包囲網の形成には米国の本心が表れている。 朝鮮はすでに1990年代、停戦協定の法的当事者である国連が制裁を加える場合、それを停戦協定の破棄、宣戦布告と見なすと宣言したことがある。南朝鮮のPSI参加についても、武力衝突の危険性が恒常的に存在する朝鮮半島で米国主導のPSIに合流することは「戦争の導火線に火をつけることになる」と再三警告している。 朝鮮は米国が停戦協定の当事者としての責任を放棄し、南朝鮮をPSIに引き入れたことを宣戦布告だと断定し、「われわれもこれ以上停戦協定には拘束されない」(5月27日、朝鮮人民軍板門店代表部声明)と宣言した。 「忍耐の限界」 朝鮮側はPSIを自国に対する封鎖を狙ったものであり、停戦協定に対する蹂躙行為だと主張している。戦争時代の海上封鎖が再現されるという認識に基づくものだ。 朝鮮半島では過去数十年間、戦争でも平和でもない不安定な状態が続いてきた。この間、交戦双方である朝米間で外交交渉がなかったわけではない。北南朝鮮の間でも多くの会談が行われ、一連の合意が生まれた。しかし対話が繰り返されても、軍事的対立の構図は解消されなかった。米国と南朝鮮による合同軍事演習などの挑発行為があるたびに緊張が高まった。 朝鮮半島で戦争が起きていないのは、「われわれが自制しているためであり、停戦協定のおかげではない」と朝鮮は主張する。外交官も軍人も自衛、国防の論理では一致している。 米国とその追従国が朝鮮の強硬な対応を「瀬戸際戦術」と見るのは、事態の深刻さを矮小化するき弁だ。安保理による敵対行為が「停戦協定の破棄にあたる」と断言した朝鮮外務省スポークスマン談話(5月29日)は、「忍耐にも限界がある」と指摘している。米国による制裁の国際化は、朝鮮が停戦協定締結以来数十年間自制してきた行動措置を真剣に検討せざるをえない状況を作り出している。 オバマの誤算 朝鮮の二度目の核実験は国際社会を震撼させた。その意味が、米国主導の下での「危機的局面」に対処する「自衛的措置」だとすれば、事態の本質はおのずと明らかになる。 核実験は対外的なアピールを狙ったものではなく、予測不可能な今後の事態に備え、国の安全を守るための先手という位置づけだ。 朝鮮が「戦時に相応する実際的な行動措置」をとると内外に宣言したことはかつてなかった。行動の内容も、平時の自衛的措置とは異なるものにならざるをえない。 国連安保理で朝鮮の人工衛星打ち上げが問題視される以前は、緊張と対立の構図を清算できる可能性もあった。朝鮮は07年、6者会談での非核化論議とは別に、米国側に朝鮮半島の平和と安全の問題を論議するため国連代表も参加する朝米軍部間会談を提案したことがある。 しかし、現在の情勢は別の方向に進んでいる。議長声明の採択をきっかけに「危機的な局面」が生じると、米国のオバマ政権は「6者会談の再開」という焦点の定まらない対応策を出すだけで、朝米対立を激化させる強権外交を展開した。 一方で、現在の朝鮮半島の危機的状況は、「変化(CHANGE)」を提唱して発足したオバマ政権が過去の遺産を正しく認識する機会を与えている。目前の課題は「破たんした6者会談」ではなく、「いまだ終わっていない戦争」にある。外交の目標を正しく定めないかぎり、事態はもつれるほかない。(金志永記者) [朝鮮新報 2009.6.5] |