英紙が選定 ブッシュ大統領 8年間の失策 |
英デイリー・テレグラフ紙(電子版)は1月15日、先日退任した米ブッシュ前大統領の8年間を総括し「ブッシュ大統領、20の失策」と題する記事を掲載した。デイリー・テレグラフ紙の記事の内容を一部紹介する。 −大量破壊兵器はなかった 2003年3月、ブッシュ大統領はイラクのフセイン政権が大量破壊兵器を保有しているということを口実にイラク侵攻を命じた。しかし、米国はイラクから証拠を見つけられず、これによってブッシュ大統領はもちろん米中央情報局(CIA)と米国の名声は大きく損なわれた。 −イラク戦後復興計画はどこへ イラクのフセイン大統領を追い出したあと、ブッシュ大統領には不安定なイラク情勢を鎮める計画すらなかった。開戦から約6年が経ったが4200人を越える米軍犠牲者と多くの民間人の死、数千億ドルの費用を要した戦争はまだ終わっていない。 −「9.11テロ」警告を無視
01年、「9.11事件」が発生する数週間前、テキサス州の牧場で休暇を過ごしていたブッシュ大統領は、CIA長官から「ビン・ラディンが米国を攻撃しようとしている」という内容のメモを受け取った。 この特別警告を無視したことで、「9.11事件」が発生。 大統領の対応は「負の遺産」として米国史に残った。
ブッシュ大統領は03年5月、「任務完了」と記されたプラカードの下でイラク戦争の「終了」を宣言した。しかし、事実は正反対。米軍死傷者の大部分が「任務完了」宣言以降に発生し、ブッシュ大統領自身もこれをもっとも大きい「失策のひとつ」と認めた。 −国連の許可なきイラク侵攻 米国がイラクに対する軍事侵攻を行う前、国連安全保障理事会ではイラク問題に関する真しな論議が繰り広げられていた。忍耐を失ったブッシュ大統領はイラク侵攻を命令した。彼の決定はこんにちまでも国連で違法とみなされている。 −「アル・カイーダ」との関係主張 ブッシュ大統領はイラク侵攻の名分としてイラクのフセイン大統領と「アル・カイーダ」の関係を主張した。しかし、彼の主張を裏付ける証拠はまだない。 −ビン・ラディン捕獲に失敗 「9.11事件」以降、ブッシュ大統領は「アル・カイーダ」の指導者、ビン・ラディンを捕まえることを第1の目標にした。7年以上経ったが、ビン・ラディンが残した唯一の証拠はブッシュと米国を罵るビデオだけだ。 −京都議定書を拒否 ブッシュ大統領は01年、米国が世界最大の温室ガス放出量を記録している事実を無視し、経済的損失を理由に、温室ガス放出量を制限する京都議定書への署名を拒否した。米国の自動車産業はすでにちょう落、地球温暖化は深刻な国際問題となっている。 −「カトリーナ」で休日台無し 05年8月末、大型ハリケーン「カトリーナ」がブッシュ大統領の夏期休暇の終わりに米国東南部に上陸した。しかし、彼の対応は被災地各所を見るのではなく、ワシントンに帰る途中で大統領専用機の窓越しに見るだけだった。 −富裕層のための減税 ブッシュ大統領は米国の富裕層の税金対策のために大型減税を承諾した。経済は不況に陥った。評論家は、「トリクルダウン理論」(富める者がさらに富めば、貧しい者にも自然に富がしたたり落ちるという経済理論)は誤りだと主張している。 [朝鮮新報 2009.1.30] |