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〈飛躍と前進の「150日」−I〉 平壌紡織工場 設備一新で能率アップ

 【平壌発=金志永記者】平壌紡織工場の機織工であるリ・ミョンスンさん(33)は「150日戦闘」の期間に自身の年間最高生産実績を突破した。同工場に勤めて16年目。自分の受け持った生産計画を超過達成した経験は何度もあるが、今年の成果は別格だという。

伝統の復活

織機を操作する女性労働者

 同工場では5月から「多錘多機台運動」(技能水準の高い精紡工、機織工たちがより多くの紡錘機や紡織機を同時に受け持ち、職場全体の増産を主導する運動。機台とは、工作機械や紡織機械を指す)を展開している。一人が何台もの機械を扱うようになれば、職場では労働者の役割分担を調整しながら労働力の問題も解決できる。

 「多錘多機台運動」は平壌紡織工場の伝統でもある。1970年代の「70日戦闘」、80年代の「100日戦闘」当時も労働者の熱意を鼓舞する基本的な方法として採用された。その特徴は、労働者本人が自ら望んで初めて役割が与えられることにある。誰もが多くの機械を同時に扱えるわけではない。限られた熟練工だけが申し出ることができる。機織工の場合、全体の約20%がそれに該当するという。

 リ・クァンミョン技師長(49)は、「上から強引に押し付けないことがわれわれの伝統」だと説明する。「150日戦闘」が始まると、支配人や技師長など工場の幹部は、より多くの機械を担当したいと申し出る労働者たちと面談した。その後、幹部協議会を開き、各自の能力に合うように労働力を再配置した。

現代化の効果

 同工場は昨年、染色機をはじめとする設備全般を一新した。織布職場には能率の高い新型の織機を導入した。「平壌200−U」という商標の付いた国産の織機だ。平壌紡織機械工場で生産したこの織機は380台あまりが導入された。年内にさらに600台が導入される予定だ。

 生産ラインの現代化によって、織機の能力は以前の約2倍に拡張した。また、個別の設備の性能が向上し、機械の配置も合理化されたことで労働者たちがより多くの機械を同時に扱えるようになった。織物を編む織機は以前、1人が2〜3台を受け持っていたが、今では4台同時の操作が標準となった。

 同工場では、市民に供給する服の生地と下着、布団、タオルをはじめ各種の織物製品を生産している。技師長によると、数年前までは障害もあったという。電力など国の経済事情に関わる問題が原因だった。また、設備の老朽化による生産能力の低下も懸案として残っていた。以前使っていた織機は50年代に輸入した旧ソ連製のものだった。増産という具体的な実績で機織工たちの労働熱意を高めようとしても限界があったという。

 国の経済全般が上昇軌道に乗ると、人民生活と直結する軽工業部門から変化が現れた。先行投資によって現代的な設備が各工場に備えつけられた。電力と原材料の供給には国が関心を払っている。平壌紡織工場は「150日戦闘」期間の月間生産計画をすべて超過達成した。

最盛期の水準へ

 リ・ミョンスンさんは1人で21台の織機を扱っている。「2012年に強盛大国の大門を開くという構想を必ず実現させたい」というのが「多錘多機台運動」に志望した動機だ。リさんは過去に10台を同時に操作したこともある。今年3月までは8台が固定の担当だった。2012年までの残り3年間の成否を左右する「150日戦闘」で役割を果たしたいという一心で、5月から限界いっぱいの機械数を受け持っている。

 リさんは自分に与えられた今年の計画をすでに達成済みだ。6月中に来年度の計画分まで達成した。「体が一つしかないのが残念」と、より高い目標に向かって奮闘する毎日だ。

 金正日総書記は男女平等権法令発表63周年(7月30日)に際して同工場を現地指導した。リさんも総書記と言葉を交わした一人だ。記念写真にも収まった。「多錘多機台運動」にさらに拍車がかかった。

 平壌紡織工場は70年代末から80年代初めにかけてが生産の全盛期だった。「150日戦闘」の目標が達成されれば、今年末に工場の生産は当時の水準まで回復することになる。

[朝鮮新報 2009.8.28]