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〈飛躍と前進の「150日」−A〉 「千里馬の騎手」が躍動する

電気炉フル稼働で経済牽引

 【平壌発=金志永記者】金正日総書記の現地指導を受けた昨年12月24日。千里馬製鋼連合企業所(平安南道)ではこの日を起点にすべてが変わった。「自力更生」の精神で製作された超高電力電気炉が設置された職場で、かつて「千里馬英雄」と呼ばれた人物の息子は最高指導者の現地指導に立ち会った。

「大高揚」の実感

昨年、千里馬製鋼連合企業所が制作した超高電力電気炉(文光善記者撮影)

 チン・ヨンイルさん(53)は同企業所の鉄鋼職場長として働いている。

 彼の父親は、同企業所が降仙製鋼所と呼ばれていた頃の職場長チン・ウンウォンさんだ。「千里馬運動」真っただ中の1959年、ウンウォンさんの属した作業班は初の「千里馬作業班」の称号を授かった。

 チンさんは「新たな革命的大高揚」に火をつけた昨年末の現地指導の効果を毎日体感しているという。

 総書記は現地指導で、2012年に「強盛大国の大門を開くために、千里馬製鋼連合企業所が全国をリードすべきだ」と呼びかけた。

 最高指導者の呼びかけに同企業所のみならず全国の経済単位が応えた。

 現在、同企業所には生産に必要な原料が全国から途切れることなく提供されている。内閣の省と中央機関が収集した大量の屑鉄がトラックで企業所に運ばれ、遠く咸鏡南道端川市の企業所からは、耐火物に用いられるマグネシャクリンカーが送られてくる。

 金属工業の優先的発展に向けた全国規模の取り組みを目にしながら、チンさんは「国の経済の潜在力」を実感したという。90年代後半の経済的試練の時期には、鉄鋼生産者たちが屑鉄を探しに全国を駆け回った。彼自身も「どうにかしてクリンカーを手に入れようと端川まで車を走らせたことが一度や二度ではなかった」という。それでも国から提示された生産計画を遂行できなかった。

 「全国がわれわれを見守っている」

 チンさんは、関連部門が電力と燃料、原材料などを優先的に提供してくれるたびに、鉄鋼部門に対する彼らの高い期待と無言の「プレッシャー」をひしひしと感じるという。企業所の労働者も「自立経済の柱である金属工業の重要性」に対する自覚が高まっている。

集団主義の発揮

 「150日戦闘」が始まってから、鉄鋼部門では増産に向けた努力によりいっそうの拍車をかけている。今年に入って、千里馬製鋼連合企業所の傘下企業である宝山製鉄所に「チュチェ鉄」生産工程が完成した。宝山製鉄所で生産された粒鉄が千里馬製鋼連合企業所を経て各種の鋼材製品に生まれ変わる。

 チンさんは、回収した屑鉄に依存する従来の脆弱な生産システムは克服されつつあると強調する。

 鉄鋼職場では作業が朝と夜の区別なく続けられている。労働者たちは一日24時間を3交替で働く。仕事がなくて時間をやり過ごす労働者は一人もいない。

先輩たちの姿

 同企業所がまだ降仙製鋼所と呼ばれていた1950〜60年代、類例のない増産で国の工業化の土台を築いた「千里馬大高揚」の時期に、鉄鋼生産で革新を起こした労働者たちが掲げたスローガンが「集団主義」だった。

 「最近、企業所労働者の働きぶりが『千里馬運動』時代の先輩労働者に似てきている」とチンさん。

 一般労働者は3交替制だが、職場長である彼が現場にいる時間は一日平均18時間に及ぶ。自宅にはほとんど帰らない。職場の事務所に臨時で設けられた休憩室で眠る毎日だ。

 「150日戦闘」期間には家庭の近況も「他人から聞くことが多い」という。

 チンさんの父親も家に不在がちだった。そして現在、チンさんも当時の父と同じ立場にある。

 職場で家庭の近況を伝え聞く時、あの「千里馬運動」時代の若かりし頃の父と母の懐かしい姿が思い出されるという。

[朝鮮新報 2009.7.8]