〈虫よもやま話-23-〉 生と死 |
「こんなに大きく育ったよ!」 その子は首から提げたたまごっち(キャラクターを育てるゲーム)を得意気に見せてくれました。 「もし死んだらどうなるの?」 小さな指はリセットボタンを指していました。 今回のテーマは「生と死」、ここでは「生まれること・死ぬこと」について述べます。 大変難しいテーマを選んでしまいました。私自身がこの若さで「生死」を語ること自体が誤りなのかもしれません。 しかし、日々の生活の中で「生死」と触れ合う機会が多い昆虫の研究に携わる者として、このことについてしっかり考えることも大切な研究だと考えています。 最も身近な存在でありながら生まれてから死ぬまでのサイクルが早い昆虫たちは、とくに子どもたちにとって「生死」を知り、学ぶことのできる「最良の存在」です。ましてや現代では「生死」が家庭内からほぼ消え去ってしまいました。生まれることも死ぬことも、私たちは病院でそのほとんどを経験するのではないでしょうか? そのため、昆虫を「探すこと、捕まえること、飼うこと」をこれまで強調してきましたが、生まれた時や死んでしまった時に、「生死」について子どもたちと一緒に考えてみることをお勧めします。「生死」というのがかけ離れたものではなく、常に身近にあるものだと身をもって「彼ら」は教えてくれるでしょう。 初級部の時、私は曾祖母の葬式を抜け出し裏山でカブトムシを採っていました。高級部の時、祖父の葬式では周囲のすすり泣く声を聞くに堪えず、外へ出ていきました。大学の時、飛んで帰ってきた家に、死に化粧を終えたアボジが運ばれてきたのを目の前にして、その現実を何一つ受け入れることができませんでした。 必死に探してみましたが、もちろんリセットボタンなどありませんでした。 最近、思います。そんなもの、いりませんね。 2年前、兄の一家に授かった赤ちゃんを見た時に思いました。「死」を受け入れるからこそ、生まれてきた命の愛おしさを実感できるのだと。私はやっとこの程度です。 身近にある「最良な存在」、ぜひともお見逃しなく。「生死」とは常に身近にあるもの、もう一度考えてみてください。(韓昌道、愛媛大学大学院博士課程) [朝鮮新報 2009.8.21] |