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〈虫よもやま話-22-〉 多様性−番外編−

 「へ〜、こんな子も同胞社会にいるんだね〜」

 よく私が言われる台詞です。

 「同胞社会がどんどん多様化している」

 最近よく耳にするようになりました。知らないうちにその好例となってしまったようです。

 昆虫だけでなく私たちも含め、地球上にこんなにも多くの生物が生息しているという神秘。近年ではこれを「生物多様性」という言葉で表現していますが、今回はこの「多様」について少し考えたいと思います。

愛媛で採集したチョウたち

 多様とは一般的に「いろいろと種類の違ったものがある」という意味ですが、「生物」という単語と結び付いた場合、その対象や範囲によって遺伝的多様性や種多様性、生態系多様性や景観多様性などさまざまな言葉が用いられます。実はこれらにはまだまだ統一された定義がなく、半ば混乱状態にあります。それでも私たちは感覚的に「生物多様性」という言葉を理解し、またその大切さを実感しているのではないでしょうか?

 (もしも、この地球上に私たち一種しか存在しなかったら?)

 考えると肩がすくみますが、私たちの活動は刻一刻とその状況を作り出しているのかもしれません。新たに発見されるよりもさらに多くの生物が絶滅に瀕している。残念ですが、これが現状です。

 生物多様性が謳われる昨今、その言葉の中に自身をも含めて考えている方がどれだけいらっしゃるのか、少し不安です。

 「特定の範囲内で一緒に存在することが多様性構築の基礎」

 今回のテーマを考えるうえで大切なポイントです。

 例えば「それぞれの島にそれぞれ一種ずつ存在する環境は多様とは言えませんが、同じ一つの島にさまざまな種が存在すれば、それは即ち多様な環境だ」と判断できます。それでは皆さん、前述の「」内の文章中、島=社会、種=個人に置き換えてみてください。

 多様とはまさに、未来への可能性や豊かさをもたらす重要な条件です。同胞社会でいうならば、ここに根づいてこそ、その多様性を築く一つとなれるのです。素晴らしい人材や事業も同胞社会を離れたならば、それは同胞社会の多様性とはなりえません。

 「同胞社会が多様化している」―明るい未来に向けた大きな期待の言葉であると、私はそう信じています。(韓昌道、愛媛大学大学院博士課程)

[朝鮮新報 2009.7.31]