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シンポジウム「行ってみよう! 滋賀の朝鮮学校へ」 連携、支援の輪を広げよう

 シンポジウム「行ってみよう! 滋賀の朝鮮学校へ」が6月28日、滋賀朝鮮初級学校で行われた。「朝鮮学校を支える会・京滋」と同校が中心となって実行委員会を立ち上げて行ったシンポジウムには、260余人の同胞と日本市民らが参加した。一方、第15回公開授業も行われ、参加者たちは授業風景を見て回ったほか、生徒たちと若い世代のサークル「歌話団」の小公演も楽しんだ。

歴史を振り返る

午前中には授業参観も行われた

 講堂で行われたシンポジウムでは、「支える会・京滋」共同代表の仲尾宏・実行委員会共同代表があいさつを行った。仲尾代表は、滋賀県内の朝鮮学校やブラジル人学校などの外国人学校は、歴史や文化、民族的アイデンティティを育むうえで在日外国人にとってなくてはならないものだと述べながら、日本の社会になぜ外国人学校があるのかを一から考えなければならないと述べた。

 また、日本では小中学校の教育について「義務教育」と言われているが、子どもたちが学ぶことは義務ではなく権利であると指摘。マイノリティであろうと、どこの国の子どもであろうと彼らの教育は社会が保障すべきだと強調した。そのうえで、朝鮮学校に対する制度的な矛盾を克服し、処遇を改善するための国家、地域レベルでの模索が必要であり、共生の理念のもと、外国人子弟の教育問題を考えていこうと訴えた。

 2部構成で行われたシンポジウムの第1部では、滋賀での民族教育の歴史について、松下佳弘・世界人権問題研究センター嘱託研究員と河かおる・滋賀県立大学講師、鄭想根・滋賀初級教務主任が講演した。

 松下佳弘研究員は、日本の敗戦後、各地で民族教育を行う国語講習所などが自主的に設立されていったことに触れながら、滋賀県内でも1946年5月からいたるところで学校が設立され、民族教育が行われたと指摘。しかし、48年の文部省通達により閉鎖へと追い込まれていった過程について、当時朝鮮学校の生徒だった金君子さんの証言などを交えながら紹介した。

 河かおる講師は、閉鎖後、公立学校内に設立された朝鮮学校について紹介。特に50年4月頃から朝鮮人教職員の待遇改善と朝鮮語を正式科目とすることなどを求めて、同盟休校を行ったことを当時の生徒の作文などと共に紹介した。また、民族学級が設立された公立学校で朝鮮と日本の生徒の野球チームを紹介した当時の新聞記事を紹介しながら、同じ問題でも、日本人側と朝鮮人側では捉え方がまったく違うと強調した。

 鄭想根教務主任は、県内での民族教育草創期の教師と生徒たちの写真や資料を織り交ぜながら、朝鮮学校で行われていた教育内容などについて紹介した。また、59年12月に始まった帰国運動を機に、県内各地の学校で植樹や記念像が設立されたと指摘。これは、日本当局にとって在日朝鮮人は追放と治安の対象だったが、在日の情熱と多くの日本の人々の支持と協力の賜物だと強調した。

 そして、60年4月、近江八幡市に滋賀朝鮮中級学校が設立されたのを機に、在日朝鮮人の民族教育は一本化され、発展の道を歩んできたと締めくくった。

現状と課題示す

260余人が参加したシンポジウム

 「現状と未来」と題して行われた第2部には、滋賀初級の尹日和校長と京都民族教育対策委員会の柴松枝事務局長、ブラジル人学校であるサンタナ学園のナカタ・ロザリンダ・ケンコ校長が出演した。

 まず、07年1月28日、大阪府警が「車庫とばし」を口実に同校に対する強制捜索を行った当日の模様を収録したビデオが上映されたのに続き、尹日和校長が発言。警察当局が押収しようとしたものや実際に押収していったものについて説明しながら、不当な弾圧に反対して行った取り組みについて具体的に説明した。

 そのうえで、当局の朝鮮学校に対する敵視政策は今も変わっておらず、在日同胞が主体となりさらに多くの支持者との連帯を通じて民族教育を守っていかなければならないと強調した。

 続いて発言した柴松枝事務局長は、朝鮮学校が置かれている現状について制度や助成金、資格などさまざまな面から取り上げ、差別的な処遇が続いていると指摘。国連条約委員会や日弁連が数度にわたって朝鮮学校の処遇改善を勧告しているにもかかわらず、日本政府はいまだに誠実な対応をとっていないと強調した。

 そして、O−157の感染やアスベスト被害の際にも行政から朝鮮学校への通知がないなど、子どもの安全において差別的な処遇を受けている朝鮮学校の現状を訴えながら、在日子弟の未来、日本の共存共栄、多文化共生のためにも朝鮮学校はなくてはならないものだと締めくくった。

 ナカタ校長は、学園の厳しい運営状況や経済不況の一番の被害を被っている父母たちの窮状などについて述べながら、そんな中でも日本や朝鮮の多くの人々が支援してくれていると指摘。どんなに厳しい状況が続いても、67人の子どもたちのためにがんばっていきたいと涙ながらに語った。

 閉会のあいさつを行った「支える会・京滋」事務局の江原護氏は、05年に結成された「支える会・京滋」ではこれまで京都と滋賀の朝鮮学校を支援するためにさまざまなイベントを行ってきたと述べながら、来年、再来年と地道に積み重ねていくことで外国人学校同士の連携を深めるとともに日本人の支援の輪をさらに広げていこうと訴えた。

 尹日和校長は、シンポジウムの準備をきっかけに県内の民族教育の歴史を発掘することができたと述べながら、日本の社会には多くの国の人々がいるが、彼らの人権が無視されてはならず、中でも学ぶ権利は必ず守られなければならないと指摘。そのためにも、一致団結して声を高めていこうと語った。

 この日のシンポジウムのため、同校オモニ会のメンバーと女性同盟のオモニたちは、200食のピビンバを用意するなど、シンポジウムの成功に少なからず貢献した。(李松鶴記者)

[朝鮮新報 2009.7.3]