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〈投稿〉 新芽たち

 私達家族が千葉県から大阪市に移住し、かれこれ7カ月になる。

 子供は4人。みんな千葉生まれの千葉育ち。心優しい6歳の長男と泣き虫の5歳の長女は、昨年の10月から中大阪朝鮮初級学校の付属幼稚園に通いだし、ちゃっかりものの3歳の次女は3月まで保育所に通い、10カ月になる甘えん坊の次男はお家で私を独占中である。

 大阪での生活にもすっかり慣れ、今では巧みに(?)大阪弁を使いこなす。ウリハッキョの空気も新鮮で肌に合うのか、二人は毎日ウリマルを覚え帰って来る。

 そして「オンマーくまのウリマルしってるー?」と聞いてくる長男。ここは知らない振りをし「えーなんやったかな…ケェ?!」と惚けると「ブッブー、コォムでしたー!」と勝ち誇った様に笑う。

 長女も首を傾げながら「オンマー、ぺーペコヨ?」。これもまた知らない振りをし「ん?何それ」と聞き返すと「ぺーペコヨ!」と半分怒りモード。

 「それを言うならぺーコパヨじゃない?」「あーそうやった。オンマーおなかすいたー」と照れ笑い。

 千葉にいた頃から明るく活発だった二人だが、ハッキョに通いだしてからは更に隠れていた性格や考え方が見られ新しい発見ばかり。

 当初は、朝起きると「オンマー、きょうもユチバン(幼稚班)いく?」と聞く長女の言葉に少し気をもんだが、ハッキョから帰って来ると元気良く「オンマー、あしたもユチバンいきたいー!」と、心配無用の言葉。

 千葉と比べると園児の数が少ない中での生活にも関わらず、二人は楽しく通っている。そんな二人に聞いた事があった。「ハッキョ楽しい?お友達少ないけど…」。すると「うん、たのしー。ウリマルもたのしいし、ハッキョもふるいけどすきー!」との答えが返ってきた。余計な事を聞いてしまったようだった。

 千葉県にも当時住んでいた自宅から程近い距離に一校だけウリハッキョはあったが残念ながら幼稚班はなかった。もしあったなら迷わず通わせていただろう。何故なら、私達夫婦がウリハッキョにしかない良さを知っているからだ。

 私が幼い頃もハッキョから帰ってきては「ネガ イブン(私が着た) チョゴリ」を、踊りを交えながら良く歌っていたと、今は亡きアボジが嬉しそうに話していたのを覚えている。

 今、二人が目の前で歌い踊っているのも「ネガ イブン チョゴリ」。そして、それを見つめる私のすぐ傍で、優しく微笑むアボジの顔が想い浮かぶ。私は、子供達に感謝の気持ちで一杯になる。何も変わらないものがここには存在した。そしてこの何も変わらないものが、今もなお日本社会で存在し続けているからこそ、価値があると私は思う。

 最近では、おすし屋のおじさんに「アンニョンハセヨ」、近所のおばあちゃんに「アンニョンハセヨ」、魚屋さんにも、朝の散歩途中のおじいちゃんにも「アンニョンハセヨ、アンニョンハセヨ」と、アンニョンハセヨのオンパレード。

 すると、みんな何のためらいもなくにっこり「おはよう! おはようさん。いってらっしゃい」と、とても優しく自然に返事をしてくれる。

 今はまだ右も左もわからない自然体で人との関係を持って生きている。そんな時の中でゆっくりゆっくりチョソンサラムとして日本の社会で共生していってほしい。

 この春から幼稚班に通いだしたちゃっかりものの次女は、毎日元気に玄関を飛び出し通園バスに向かうオッパ、オンニの後ろを一生懸命に追いかけている。

 この三つの新芽たち。決して枯らしてはならない。ウリハッキョが土となり、私達が水となり、そしてこの子達に携わるすべての人が光となる。無限に葉を広げてゆく姿を私は見守ってゆきたい。(金訓子、中大阪朝鮮幼稚班保護者)

[朝鮮新報 2009.5.29]