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〈第51回朝鮮大学校卒業式〉 それぞれの思いを胸に新たな出発

同胞社会を担うホープに
 

公演で披露された男声重唱。同胞社会を守り抜く気概を示した

 朝鮮大学校(東京都小平市)第51回卒業式が10日、同校で行われた。総連中央の許宗萬責任副議長、南昇祐副議長、同校の張炳泰学長、教職員、在校生、学父母らが参加し、卒業生たちの新しい門出を祝った。

 式ではまず、南昇祐副議長が朝鮮民主主義人民共和国教育省から送られてきた祝電を紹介した。つづいて、許宗萬責任副議長が祝賀のあいさつを述べた。

 張炳泰学長が学事報告を行ったあと、卒業生たちに卒業証書が手渡された。また、朝鮮教育省の表彰、卒業論文賞などの各表彰や賞が授与された。

 式終了後、卒業生らによる公演が披露された後、学父母、教職員らも参加して祝賀宴が食堂で開かれた。

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同胞の期待を背負い4月からの新たなスタートを決意する卒業生たち

 さまざまな夢や希望を抱いた卒業生たちは、在日同胞社会の明るい未来のために貢献しようという思いを胸に、朝鮮大学校の門をくぐった。

 教育学部3年制を卒業した金久美さんは、今回の式で優秀成績賞と卒業論文賞を受賞した。在学中は勉学に励み、常に学部でトップの成績を収めていた。「私の周りには、朝大へと進学することに賛成してくれる人が少なかったから、卒業式では必ず賞を取ろうと一生懸命勉強した」。また、大学生活を振り返り「朝鮮人としてどのように生きていくのかという目標が、はっきりと持てた3年間だった」と話す。

 金さんは4月から、兵庫県で教員になる。教員になろうと思ったきっかけは、中級部の頃、母校の阪神朝鮮初級学校が休校したことだった。その現実を目の当たりにし、民族教育を守らなければと切に感じたという。「民族教育の現場で、民族性をしっかりと持った生徒を育てられるよう奮闘したい」と目を輝かせる。

 理工学部を卒業した趙成哲さんは、在学中に「同胞アイネット拡大21」を繰り広げる総連の方針にならい、自身ができることについて模索した。その結果、「トンポinet」というSNSサイトを立ち上げた。これを通じ、時空間的に同胞と接触することが難しい人たちも、各地の同胞の消息を知り、意見交換をしたり、日常的につながっていられる。これが、今の自分にできる「同胞アイネット拡大21」の一つの形という思いから、その構築と運営に励んできた。

 「現在、学生や教員、活動家など700余人がここに参加している。これからみなが各地方に分散していく中で、大学で出会った友人とのつながりをもっと深めていきたい」と語った。

 経営学部を卒業した韓大成さんは、日本の大学を1年で中退し、朝大に入学した。朝大に送ってくれた両親への感謝の思いなどを手紙に綴った。

 青森県で生まれ育った韓さんは、近所にウリハッキョがなかったため、家から通える日本の小学校に通った。中、高、大への進学を前に、両親は朝鮮学校に編入することを勧めた。しかし韓さんは、周りの環境が変わることが嫌で、そのまま青森公立大学に進学。その後、朝鮮人である自己に目覚め、朝大への進学を自ら望むようになり、朝大経営学部に入学した。

 「一つひとつが日本学校とは違い、新鮮だった。とくに朝鮮民族に対する自覚と誇りを持てるようになった。また、互いに助け合う精神、友だちを思いやる心を教わった」

 4年間で一番印象深かったのは、祖国訪問だ。一定の朝鮮語の水準を身につけたはずだったが、講義や観光などで聞く祖国の人たちの言葉が聞き取りづらかった。その姿を見た金亨稷師範大学の教授が忙しい中にも関わらず、一日に2時間ずつ個別指導をしてくれたという。そこで、祖国の朝大生に対する愛と配慮の大きさを知った。

 「朝大がなければ今の私はいない。4月から『ウリ信用組合』で働くことになるが、この感謝の思いを胸にがんばっていきたい」と述べた。

 韓さんが読み上げた手紙に聞き入っていたオモニの康仁才さんは、「先生や一つ歳上の息子と4年間寝食を共にしてくれた友人の支えがあって、こうして卒業を迎えられたと思う。これからは大学や祖国で得たものを忘れずに、どんな困難も乗り越えていってほしい」とエールを送った。(文=姜裕香、李東浩、写真=文光善、盧琴順記者)

[朝鮮新報 2009.3.16]