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同胞社会を守り発展させる道で再会を 東北朝高 第39回卒業式

 1日、東北朝鮮初中高級学校(宮城県仙台市)で行われた高級部第39回卒業式には、学父母、関係者らのほか日本各地から200人を越える卒業生たちも駆けつけた。

初1から寄宿舎生活
 

卒業公演の一場面

卒業証書を手渡す李鐘大校長

 卒業祝賀宴でマイクを握った岩手県在住の金香順さん(44)は、「おかげさまで、心も体もたくましい子に育ちました」と深く頭を下げた。

 同校高級部卒業生は14人。そのうち6人が寄宿舎生活を送り、4人は初級部1年生から寄宿舎で暮らしてきた。

 金さんは、「娘が初級部1年生のとき、本当なら喜ぶべき入学式だと言うのに、私にとっては幼い娘と離れて暮らさなくてはならない辛い別れの日でもあった。その時はこの子がいつになったら卒業するのかと思った」と、声をつまらせた。

 そして、当時は6歳だった娘が、今では18歳の少女に成長したと述べ、「娘に、将来何になるのかと聞いたら、『同胞社会の役に立つ人になりたい』と答えた。朝鮮学校で学び、誓った思いを忘れずに、これからも悩みや壁にぶつかったらいつでも学校を訪ねてほしい。解決の糸口がきっと見つかるはずだから」と卒業生たちに語りかけた。

 福島県在住の趙明善さん(56)も、娘の沈恵栄さんを初級部1年生のときから寄宿舎に入れた。
 

12年間、寄宿舎に送った両親に感謝の花束

拍手を送る学父母たち

 「恵栄は5人兄弟の末っ子なので、低学年のときは心配事が山のようだった。でも、大きな病気もせず12年が無事過ぎた。私は東北朝高の1期生。中級部時代は古い寄宿舎で過ごし、高1、高2の2年間は茨城初中高へ。高3のとき東北へ戻ってきて、真新しい寄宿舎に感動した。末娘が最後の高級部卒業生になって、感慨ひとしおだ」

 父親の沈龍漠さん(58)は、東京からはるばる母校の卒業式にやってきた朝大生たちをつかまえて、「どこの学部だ、理工学部か?」と尋ねていた。「娘が理工学部へ進学するのだけど、女子は一人らしくて心配で」。朝大生たちに、「娘がさびしい思いをしないよう見守ってやってくれ」と何度も頼み込んでいた。

 金哲朗さん(59)も末娘が卒業した。

 「子ども3人のうち上の2人は初1から朝鮮学校へ。美月は体が弱かったため、はじめは日本の学校へ通わせたが、オッパ(兄)とオンニ(姉)が朝鮮語を使うので、自分も習いたいと言って4年生のときに編入させた。子どもと離れる寂しさはあったけれど、朝鮮人として育ってくれることを願っていた。朝大に行っても一生懸命勉強して、総連組織と同胞社会のために働けるよう頑張ってもらいたい」

各地から駆けつける
 

卒業を祝い合唱する在校生たち

卒業式にはたくさんの先輩たちが訪れた

寄宿舎とも今日でお別れ

 北海道根室市の李成八さん(52)は第5期の卒業生。「ウリハッキョの子どもたちは、日本の社会では考えられないほど素直でまっすぐに育っている。久しぶりに母校を訪れ、子どもたちの姿を見て元気をもらった。同胞社会を守るという高い志を忘れずに、今後も素直に成長していってもらいたい」。

 熊本から夫婦で駆けつけた姜剛さん(48)は、「30年ぶりに母校を訪れた。朝高卒業後、日本の高校卒業資格を取得して、医師になった。「朝鮮学校で学んだ10年間があったからこそ、途中でくじけず勉強を続けられた。たくさんの先生、先輩方に心から感謝している」。

 卒業以来はじめて母校を訪れたという福島県の朴錦玲さん(22)。「学校から招待状をもらい、懐かしさあまってやってきた。今年の卒業生は私が高3のときに中2だった。部活の時には言うことを聞かず、ずいぶん悩まされたけど、みんな大人になったなぁ…と感心した。卒業後も東北朝高で過ごした日々を忘れないでもらいたい」。

 会場には年配の同胞たちの姿もたくさん見られた。

 呉又淑さん(72)は、学校建設初期から35年間食堂で働き、子どもたちと接してきた。

 「今日はうれしくもあり、悲しくもあり、さっきから涙が込み上げてきて止まらない。食堂で働いていた頃は子どもたちがよく食べるとうれしくて、食べないと悲しくなった。この間、学校を守ろうと苦労する同胞たちの姿を見てきた。今日はたくさんの卒業生たちが『学校のご飯がおいしかったよ』と言ってくれたのが本当にうれしい」

 金m洛さん(85)は、学校建設委員会の事務局長を担当した。

 「今日この場に娘4人と孫たちが参加している。孫の一人は同校の教員として働いている。学校の行事に家族が揃ってとてもうれしい。初中級部45年、高級部40年。高級部の卒業生たちは2000人近くになり、今日は遠くからたくさんの卒業生たちが駆けつけた。これから若い人たちが学校を守って行ってくれるものと大いに期待している」

 李正子さん(72)も若い世代にかける期待は大きい。「この学校があったからこそ、今ここにたくさんの卒業生たちが集っている。みんなそれぞれいろんなことをして、いろんな方向に進んでいるけど、何かある時、こうして集う力を持っている。それをなくしてはいけない。教育が一番。朝鮮人として堂々と生きていくため、どんなことがあっても学校だけはなくしてはならない。これからは、この学校の特徴を生かして、日本人に負けない朝鮮人に育ってもらいたい」。

卒業生たちの誓い

 卒業生たちは、教職員はじめ同胞たちの期待を胸に、同胞社会の将来を見すえている。

 呉龍雨くんは青森県出身。初1から12年間寄宿舎生活を送った。「卒業後は、朝大・政経学部政経科へ進む。卒業して母校を離れるのはさびしいけど、これからは僕らがこの学校を守っていかなくてはという使命感もある。そのため朝大でしっかり学んで同胞社会の大きな力になりたい」。

 尹日銖くんも同じく初1から12年間寄宿舎生で、朝大・政経学部政経科へ進学する。「福島初中を経て東北朝高へ入学した。卒業を迎えて、精神的にも肉体的にも大人になったような気がしている。朝大に行っても4年間また寄宿舎生活を送ることになるけど、生活面でも学習面でも、他校出身の学生たちに負けないように、東北卒業生としてのポリシーを磨いていきたい。こんなに良い学校に送ってくれた両親に、本当に感謝している」。

 朴昌基くんは、東京の専門学校で声優をめざす。

 「今はひとつの段階を終えたという達成感でいっぱい。みんなと別れるのは辛いけど、新しい道に向かっていく喜びもある。12年間ここで学んだものをこれからの生活に生かしていきたい。辛いことがあっても、あきらめず、自分の夢を実現したい」と希望を膨らませた。

 担任の崔志学先生(28)は、「生徒たちはこの3年間、高級部の後輩がいないという状況の中で、いつも心をひとつにして物事に取り組んできた。運動会の時には、教員と生徒という関係を乗り越えて、学校を守っていくという同僚、同志と感じられるほどに成長した彼らの姿を見て、たくさんの力をもらった。今日、卒業を迎え、それぞれの道を進むことになるが、ここで学び、得たものを土台に、在日同胞社会を守り発展させていく道で再び会えることを願っている」と語った。

 李鐘大校長は、「君たちが帰ってくる日を心待ちにしている」と校門を出る卒業生たちを見送った。(文−金潤順記者、写真−文光善記者)

[朝鮮新報 2009.3.6]