日本の学生らの感想文 「否定しようもない美しさ」 |
言いしれぬ懐かしさ 川崎の民族学校を訪ね、一つひとつの教室の授業風景を見ながら、何か言い知れない懐かしさに包まれた。児童は、年々減少傾向をたどっているという。教室がとても広く感じられた。それでも、子どもたちの元気いっぱいの表情が、何より印象深かった。 宮城県三陸沿岸の小さな町で育った私の母校は、小学校も中学校も、少子化のために廃校になった。限界集落と言ってよいほど、高齢化の進んだ農村は学校を失い、校庭から集落へ響きわたっていた子どもの声も消えた。地域が目に見えて「衰えた」。小さな学校が、大きな学校に吸収されていくのが必然なのか。 周知のように、日本政府から予算を与えられていない民族学校は、その運営資金の捻出に苦悩している。学校を存続するために児童の親が支払う授業料の負担も重い。限られた経費の中、人員の限られた教員の仕事は多く、与えられる給与も満足なものとはいえない。民族学校を支える人々の愛情が、子どもたちの笑顔のすべての源泉であることを感じないではいられなかった。すべての子どもが、必要な教育を十分に受けられる状態がこの「先進国」で実現されないのだとしたら、いったいどこで可能だというのだろう。 民族学校の子供たちの笑顔は、忘れ難いものとなった。得難い体験をさせていただいた川崎朝鮮初級学校のみなさんに御礼を申し上げる。(AY・一橋大学) 学校として魅力的 今回のフィールドワークで初めて朝鮮学校の授業風景を見せていただいた。非常に印象的だったのは、特に低学年のクラスでとても元気で積極的な生徒の姿だった。私が経験した一昔前の日本の小学校ではありえない風景に、この差はいったい何なんだろうと考え込んでしまった。 率直に言うが、この10年に日本のメディアを中心にして作られた朝鮮半島への認識は、テロ国家、拉致国家、難民の独裁国家北朝鮮と、韓流ブームと民族主義、観光の国の韓国というものだったと思う。こうしたなかで複雑な気持ちを抱えながらも、積極的に授業を受ける生徒に感銘を覚えた。 また授業のカリキュラムでは、日本語と朝鮮語を両方ちゃんとやっていることに興味を持った。今回は見られなかったが、日本語の授業がどのように行われているのか、生徒にとってそれぞれの言語を学ぶことがどのように受け止められているのか、など興味は尽きない。 また、ニューカマーの方々が来られないのは、もちろん学費の問題も大きいと聞いたが、しかし、一方で朝鮮語がわかる先生がいて、朝鮮語と日本語を両方学ぶことができるというのは学校として非常に魅力的だと思う。なにより元気いっぱいに授業を受ける生徒たちの姿を見ると、先生方を含めこの学校がとてもがんばっているのだということがよくわかると思う。(KB・立命館大学 ) 民族の輝き、愛情深さ 西川先生もおっしゃっていたことだが、私も、子供たちの楽しそうな姿に心を打たれた。単純に、「かわいいなあ」としみじみ思った。 「朝鮮学校」という言葉は、日本では一般的にいいイメージを喚起するとはいえない。メディアを通じて接する情報がごく限られたものだからだ。ほとんどが日朝・日韓の摩擦の報道のなかで、大抵の場合「朝鮮学校」という言葉は、一般的な日本人に何らかの緊張感を強いるものだ。 私は朝鮮を研究する学生であり、日常的に朝鮮に関する本を読んだり、在日朝鮮人と話をしたり、韓国に行ったりするので、一般の人々よりは朝鮮は身近だった。 しかし、その私にしても、民族学校は未知の領域だった。「女子生徒のチマ・チョゴリが駅で切られた」といった暗いイメージが先行しがちだったので、中で実際に目にした子供たちの屈託のない明るさに、拍子抜けした感じがしたし、とても鮮烈で清々しい印象を受けた。 「どうして子供たちはあんなに元気なんだろう?」という西川先生の素朴な質問に、校長先生が嬉しそうに答えておっしゃった。「親たちの愛と、教師たちの愛に囲まれて、子供たちは安心しているから、のびのびと育つことができる。無理難題を押しつけてくるモンスター・ペアレントのような厄介な親はいないわけではないが、それでも全体的に見てわれわれ教師と親は、いい関係を保っている」。この言葉は、日本の教育問題を考える上で、重い投げかけだと思う。 子供たちに強い印象を受けたが、彼らを教える教師たちの姿は、ある意味でもっと印象的。1クラス数分ずつのごく短い参観だったが、それだけでも、彼らが子供たちに注ぎこむ並々ならぬ情熱、愛情をひしひしと感じた。 一訪問者の見解だが、教師と子供たちは非常に良好な信頼関係を築いているという印象を持った。これは、「学級崩壊」や「モンスター・ペアレント」などといった言葉で騒々しい日本の教育現場とは対照的であると思う。この信頼関係はどこから来るのか。この国で長らく迫害と差別にさらされてきた朝鮮人たちの団結がそうさせるとも言えるし、また、朝鮮民族が歴史的・文化的に培ってきた個性だとも言えるだろう。いずれにしろ、朝鮮を研究する私が朝鮮から突きつけられる最も重要な問題は、「民族の輝き」とでも表現できるものだ。 国家、国民、民族、ナショナリズム、民族主義、同胞……こうした言葉は、排他的自民族中心主義、排外主義といった言葉と安易に連結される傾向がある。私にしても、「ナショナリズムは悪」というテーゼを、思考の前提としてきたようなところがずっとあった。そうした中、社会的弱者の立場に置かれている彼らの共同体が持つ、否定しようのない美しさをどのように考えるのか、という問いはとても大きい問題だと思う。保育園などでも同じことを考えた。 言葉の面で気にかかったこともある。それは、低学年の子供たちと高学年の子供たちがそれぞれ話している朝鮮語に本質的な差異があるように感じた、ということだ。2年生、3年生の話す朝鮮語は、韓国で韓国人が話す朝鮮語のようだった。しかし5年生、6年生の朝鮮語は、それとはまったく違うように感じた。いわば、外国人が話す朝鮮語のように聞こえた。 高学年のクラスではたまたま教科書朗読の授業を見学したのだが、彼らの言葉のたどたどしさが、私にとっては身に覚えのあるものだった。私はもう何年も朝鮮語を勉強している。「この発音がうまくできない」と悩むポイントがあちこちにあるが、彼らは私と同じポイントでつまずいているようだった。つまり彼らの話す朝鮮語は、日本人が話す朝鮮語と同じか、そうでないとしても、かなりそれに近いものだったのだ。民族教育の困難さの一端を垣間見たような気がする。 それから、私たちが訪ねた時、ちょうど近くの日本の学校の1年生たちが来ていて、同じ1年生同士の交流会が行われていた。植民地時代に思いを馳せ、この子らが長じて支配したりされたりする関係になるのが、植民地主義というものの現実なのだと、暗澹たる気分になった。 子供たちを見ながらほのぼのすると同時に、実は内心冷や冷やしていた。なぜなら、子供は正直だから。大人がマナーなり何なりで隠したり我慢したりするものの正体、本質を、躊躇なく暴いてしまうこともある。裸の王様が裸であることを口にしたのが子供であったように。 チマ・チョゴリを来た先生が「何が似ていた? 何が違っていた?」と双方の子供たちに問いかけた。この問いに私はどきっとした。 結局日本の子供たちは無邪気に「筆箱が似ていた!」と次々に同じことを言って、大人たちの気分を和ませた。しかし、その時私は、日本人の子供のうち誰かが、ふとこんなことを口走るのでは、と肝を冷やしたのだ。 「建物が汚い、古い!」 「服が変!」 「言葉が変!」 結局、私の心配は杞憂に終わった。しかし、実際、そう口走る子がいてもおかしくない状況だった。なぜなら、朝鮮学校は財政的な基盤が脆弱だからだ。また、近代日本の持病であるアジア蔑視の伝統は、連綿と続いているからだ。大人の口真似をする子供が現れても不思議ではない。日本と朝鮮の交流には、常にこのような緊張がつきまとうものなのだということを再認識する時間だった。(YH・立命館大学 ) [朝鮮新報 2009.2.20] |