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土屋公献先生を偲んで 在日朝鮮人の歴史問題・人権運動に尽力

「日本の将来のためにも過去清算を」

在日朝鮮人の諸問題解決のために尽力した土屋弁護士(左)

 さる9月25日、日本弁護士連合会元会長の土屋公献先生が逝去された。享年86歳、謹んでご冥福をお祈りする。

 1993年5月、スイス・ジュネーブで開かれた国連人権委員会作業部会に参加している時、同行した弁護士が国際電話で話している相手が土屋先生だった。この時初めて名前を知った。

 土屋先生は、国連人権委員会で日本の過去の清算問題について南北朝鮮と在日のNGOが発言しているが、国連で本格的に取り扱うにはレベルアップが不可欠。そのためにはアムネスティと並ぶ著名な法律家集団であるICJ(国際法律家委員会)の協力が必要だと助言してくれた。

 以降、土屋先生は、日本軍「慰安婦」問題などを国際的な人権問題として捉えいち早く解決すべきだと日弁連の対応を促された。1994年11月にICJの調査報告書が公表されると、戦後50年となる翌年の日弁連機関誌「年頭所見」で日弁連会長として異例ともいえる問題提起をされた。戦後処理問題をあいまいなままに次の50年へ移ろうとすれば、それは日本の歴史を誤らせると警告し、ICJ報告書の重要性を述べられた。

 ICJ報告書は以降、国連と各国に送付され、日本政府の責任を問う外堀が埋められた。そして、国連人権委員会による調査と決議が相次いだ。

 一方、この時期から過去の清算を求める立法運動が始まるが、「戦後処理の立法を求める法律家・有識者の会」会長として自らの事務所会議室を提供し、時間を見ては国会議員を訪ね立法の必要性を何度も力説された。私も少なからずこの会に参加し多くを学んだ。多忙ななか、毎回欠席することなく参加され、さまざまな意見に傾聴された土屋先生の熱意に頭が下がる思いであった。

不撓不屈の信念と「弁護士魂」

 ある時、会議が終了した後、東京駅八重洲口近くの路地裏の居酒屋に連れていっていただいた。銀座一丁目の事務所からタクシーでこんなところに来るのかと当惑したが、何より話は弾んだ。

 東大在学中、学生運動で停学となり頭を下げる者もいたが、こっちは江戸っ子だと、一年後には大いばりで大学に戻り、学生運動の責任者にまでなったとの話には、驚いた。信念の堅い人だと感服した。おそらく春秋に富む学生時代に通ったこの店で、初心を忘れずとの気持ちを新たにされたのであろう。

 2002年5月、平壌で行われた日本の過去の清算を求めるアジア討論会では、「従来の法律、慣習に束縛されず、人道主義精神に基づく新たな法律を作る活動を」と強調しておられた。

 土屋先生は、初志を貫き、日本の将来のために過去の清算を果たさなければならないとの一貫した立場から、その身を投げ打って活動された、不撓不屈の法律家であった。

 ゆえに先生は、「拉致」と日本軍「慰安婦」問題は法律上全く同罪であると指摘された。土屋公献「反戦の歌」には「拉致を怒る正義の心さながらに/過去の拉致を省みるべき」と読まれている。すなわち、「法律に基づき公正にする、しかし法律がなければ正義の法を作る」とのことである。

 総連中央本部会館の売却問題も「在日朝鮮人を守るには大使館に相当する土地建物を守る必要がある。事件の性格も、いわば朝鮮総連を潰してしまおうという、政治的な悪意があるものと言わざるをえず、そうした不当なものから朝鮮総連を救うために、まったく合法的に競売を回避した」「私の立場に違法牲はなく、最終的に検察でさえも私に対してはそういう理解をしている」(著書「弁護士魂」、現代人文社)と明確である。

 土屋先生のお通夜で、生前の写真を見ていると「在日の方々は、萎縮することなく、自らの歴史と現状をもっと訴えなさい」との励ましが聞こえてくるようであった。(洪祥進、朝鮮人強制連行真相調査団朝鮮人側中央本部事務局長)

[朝鮮新報 2009.10.19]