関東大震災86周年に際して各地で朝鮮人犠牲者を追悼 |
関東大震災で多くの朝鮮人が虐殺されてから86周年を迎えた1日、関東地方の各地で犠牲者を追悼する集いが開かれた。 ■東京 墨田区の横網町公園内に建立されている朝鮮人慰霊碑前で行われた関東大震災朝鮮人虐殺86周年東京同胞追悼集会には、総連中央の高徳羽副議長兼権利福祉委員会委員長と梁玉出・教育局長、総連東京都本部の李名裕副委員長をはじめとする活動家と同胞、朝鮮学校生徒らが参加した。 集会では、犠牲者を偲んで黙想した後、李名裕副委員長が追悼の辞を述べた。 李副委員長は当時、東京だけでも羽田、四つ木、亀戸、上野などで1400余人の同胞たちが朝鮮人というたった一つの理由で無残に殺されたと述べながら、86年が経った現在も日本当局はこの事件に対する謝罪と補償はおろか、真相すら明らかにしていないと非難した。 また、日本当局は自らの過去の犯罪行為を否定、美化し、現在も反朝鮮敵視政策、朝鮮人排他策動に固執し、総連と同胞社会に殺伐とした雰囲気をかもし出していると指摘。日本の過去の清算に基づいて両国の関係を正常化するという朝・日平壌宣言の精神に沿って、幅広い日本の市民との友好親善運動を強化し、朝・日国交正常化が一日も早く実現するよう努力していきたいと語った。 続いて、日朝友好促進東京議員連絡会の江口済三郎代表世話人があいさつし、若い世代を代表して朝青江戸川支部の金寛哲総務部長と東京朝鮮中高級学校の李晶玉さん(高3)が決意を表明した。(松)
■埼玉
埼玉県熊谷市、本庄市、児玉郡上里町が主催する関東大震災朝鮮人犠牲者追悼会がメモリアル彩雲、長峰墓地、安盛寺でそれぞれ行われた。総連埼玉県本部の李政晩委員長と同胞たち、富岡清・熊谷市長、吉田信解・本庄市長、関根孝道・上里町長と地方自治体職員、本多平直・衆院議員と田並尚明、小林哲也、森田俊和、竹並万吉・県議会議員、松岡兵衛・熊谷市議会議長をはじめとする地方議員と日本市民ら延べ600余人が参列した。 追悼会では各首長たちと在日同胞代表が追悼の言葉を述べ、参列者が犠牲者を追慕し献花した。 総連北部支部の李明光委員長は、罪のない在日朝鮮人が無残にも虐殺された事件について、民族的怒りと無念さを抑えることができないと強調した。しかし、朝鮮人を守るために立ち向かった日本人がいたと述べ、一つのエピソードを紹介した。 関東大震災当時、群馬新聞本庄支局長の馬場安吉さんは、朝鮮人に襲いかかる群衆に「朝鮮人が悪いのではない。殺してはいけない」と言って体を張って虐殺を止めた。すると、逆に群衆から「朝鮮人の味方をするのか」と責められ自宅を襲撃された。だが、その勇敢な行動は高く評価され、後に埼玉県知事も表彰した。長峰墓地の朝鮮人犠牲者慰霊碑は、これをきっかけに多くの人々の協力のもとで建立された。 主催者と参列者に謝意を表した李委員長は、急変する政治情勢が朝・日国交正常化にとって肯定的な影響を与えることを期待するとし、「過去、現在、未来を見つめ、国家百年の計の立場で、真の友好と親善関係を深めよう」と訴えた。 首長たちは、朝鮮人がいわれのない流言飛語によってかけがえのない命を失った過去の悲惨な事実を風化させず後世に伝え、厳粛な反省に立って真の友好と平和、相互尊重と理解を深めていく決意を表明した。(泰)
■千葉
第63回関東大震災朝鮮人犠牲者追悼の集いが船橋馬込霊園の関東大震災朝鮮人犠牲者慰霊碑の前で行われ、同胞と日本人士、市民ら140余人が参加した。慰霊碑の両脇には、総連千葉県本部と船橋、市川、習志野の各市長からの生花が供えられた。 集いではまず、犠牲者を悼んで参加者たちが黙祷を捧げた後、総連西部支部の康春和委員長が追悼の辞を述べた。 康委員長は、関東大震災での朝鮮人虐殺から86年が過ぎた今日に至るまで、日本政府は虐殺に関する謝罪はおろか真相究明をせずに事実を覆い隠していると指摘。新政権は一日も早く過去を清算して、朝鮮との国交を正常化し、在日朝鮮人に対する差別と抑圧政策を改めるべきだと強調した。 続いて、新社会党・千葉県本部の上野健一委員長が弔辞を述べた後、八千代、鎌ヶ谷、船橋、習志野、市川の各市長からの弔電が紹介された。また、社民党千葉県連合をはじめとする9つの個人、団体が献花した。 最後に、参加者全員が犠牲者の冥福を祈って焼香した。 集い終了後、女性同盟支部と各分会が準備した食事会が行われた。【西部分局】 [朝鮮新報 2009.9.10] |