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〈東日本集会〉 強制連行の違法性、再確認

歴史修正、人権侵害に警鐘

刑法、国際法に違反

 2009「在日朝鮮人歴史・人権週間」東日本集会(18〜19日、神奈川県横須賀市)では、強制連行と在日朝鮮人に対する人権侵害、在日外国人高齢者・障がい者の無年金問題に関する発言があった。主な発言内容を紹介する。

強制連行被害者の朴四甲さん(83、大和市在住)

 5歳の時に渡日、後に「徴用」され厚木空港建設などに従事させられた。現場責任者に「天皇陛下の身辺を守るための建設だ。ありがたく思え」と言われた。空腹と重労働、そして皮膚病に悩まされた。どんぶり飯が夢にまで出てくるほど、ひもじい思いをしたのが一番つらかった。

 当時、現場で出会ったある朝鮮青年は、「がんばって働けば中等教育を卒業したことにしてあげると言われて来たが、すっかり騙された」と嘆いていた。

 戦争の時は「天皇の戦士」だと言いながら、実際には朝鮮人をまったく信用していなかった。軍国教育を受けたので、当時いろいろと矛盾を感じていたが、同胞たちの「解放万歳」を聞いたとき、自分が朝鮮人であることを自覚した。

原田章弘・神奈川県朝鮮人強制連行真相調査団日本人側事務局長

 強制連行は「国民徴用令」発令(1939年)以降、「募集」「官斡旋」「徴用」の方式で行われた。朝鮮半島から日本本土や戦地に連行されたほか、日本国内でも朝鮮人強制連行が行われた。

 横須賀では、少なくとも265人の朝鮮人が日本国内で海軍に「徴用」された記録があり、51人が亡くなったと記された慰霊碑がある。日本政府は、強制連行には「甘言や強圧など本人の意思に反した事例」(93年「河野談話」)、「脅して、畏怖させて、本人の自由な意思に反して行われた場合」(93年内閣官房内閣外政審議室長国会答弁)が含まれると認めている。日弁連もこうした事実に基づき、真相究明、謝罪と被害回復を勧告している。

 一部の国会議員やメディアは、拉致問題を大きく取り上げる一方、日本政府と国際社会が認めた強制連行の概念を意図的にわい曲し、その事実を否定するダブルスタンダードに陥っている。強制連行と拉致を同じく見ないのはおかしい。強制連行は歴史の事実。歴史用語であるとともに人権用語でもある。

前田朗・東京造形大学教授

 日本軍「慰安婦」移送を誘拐罪と判断した1937年3月5日大審院第四刑事部判決は、「婦女を誘拐して上海に移送し醜業に従事させた」実行者のみならず、共謀者、つまり犯罪行為の過程で相談、依頼、連絡に関わった者全員に誘拐罪と移送罪が成立するとしている。

 ここから明らかなように、「略取・誘拐罪にあたるような犯罪行為は違法な強制連行」であり、「慰安所」政策を企画・立案した上、業者に便宜を図り、女性の移送や兵士の利用を許可した日本軍は、共謀どころか「実行共同正犯」と言える。

 日本軍「慰安婦」問題に関して、国連人権委員会勧告(96年)を皮切りに国連諸委員会や各国議会で多くの勧告、非難決議がなされた。

 日本では「人道に対する罪」「ジェノサイド」が犯罪として認識されていない。だが、朝鮮人について用いられる「強制連行」という用語も、ユダヤ人に対して用いられる「deportation(強制移送)」という用語もまったく同じ概念であり、等しく諸国際法に違反している。

広がる人権侵害

強制連行被害者の故李用鎮さん(本人の証言と写真で生涯を綴った映像から)

 1944年、22歳の時に「徴用」で日本に強制連行された。秋田、群馬、神奈川など各地で強制労働に従事させられた。

 秋田県の夏瀬ダム建設現場では「ここが自分の墓場だ」と覚悟した。仲間がダイナマイト事故で死んだ。遺体がどこにあるのかもわからず、「このままでは自分も殺される」と思い逃亡。しかし、捕まって暴行を受けた。このとき肋骨を折られていたことが、57年に保健所の診察を受けた時に初めてわかった。手術で右胸の肋骨7本を除去。一級障害者とされたが、年金はいっさい支給されなかった。

 ※晩年の李さんは、身寄りがなく収入が少ないため介護をまともに受けられず、制度への不満を漏らしていた。地元市議の支援で入所した施設で息を引き取った。遺骨は南朝鮮の遺族のもとに送られた。

林鍾圭・神奈川調査団朝鮮人側代表

 拉致問題以降、朝鮮人に対しては何をしてもいいという雰囲気がまん延している。日本当局は、「ミサイル」「核」などを口実に「制裁」を強化し危機感をあおっている。これにより、朝鮮に送った個人の荷物や家族への贈り物、日本の市民団体などの定期刊行物が日本当局によって差し止められ送り返される事態にまでなっている。訪朝する人たちは、弾圧の口実にされないかと怯えている。

 また、神奈川朝鮮中高級学校の中級部女子生徒らが「朝鮮人帰れ」などと暴言を吐かれた。駅や公共施設のトイレなどで、在日同胞個人の名を挙げ中傷する落書き事件も発生している。

 こういう状況だが、日本市民と手を取り合って乗り越えていきたい。

[朝鮮新報 2009.7.27]