発掘調査に参加して ルーツと存在、再確認 |
人の死にあたり、これほど複雑な感情がこみ上げてきたのは、まったく初めての経験だった。 今回の発掘調査には国籍や職業、年齢もさまざまな約50人が参加した。
発掘現場は飛行場建設のために命を落とした人々の共同墓地があったところで、今はごく普通の林になっていた。
専門家の指導の下、木をなぎ倒し重機で地面を削り、埋葬されたと思われる箇所をスコップや手で深く掘っていった。 2日目から参加した私が現場に着いた時にはすでに、テニスコートひとつ分くらいの広さに、7つほどの深い穴があった。 現場に着くなり友人に手を引かれ見せられたのは、穴の中で横になっている人の背骨の一部分だった。素人目にもわかるほどはっきりした人骨だった。 現場がどういう場所なのかを知っており、ある程度、心の準備もできていたつもりだったが、実際に人骨を目の当たりにすると、驚きを感じた。 しばらくして作業の指示が下った。私が最初に取りかかったのは、埋葬されたと思われる場所を小さなスコップで、少しずつ削っていく地道な作業だった。削り始めてすぐに友人に、「これは骨だ」と指摘された。 確かによく見ると、白い破片のようなものだった。今度はあまりにも小さく、どこの部分かまったくわからない骨がぼろぼろ出てきた。 細かいことが苦手な私にとって、この作業は正直しんどいものだった。その過程でいろいろなことを考え始めた。なぜこんなに面倒なことをしなくてはならないのか、周りの人は意外と気楽にやっているように見えるが、なぜそう振る舞えるのか。いま自分が見つけた骨の人は、自分よりもっとしんどい思いをしたのだろうか。
こうした考えのすべては、在日朝鮮人である自分という存在について、深く、強く、そして具体的な認識を与えるものだった。
次々と出土してくる遺骨こそ、まさに朝鮮人である自分のルーツ。祖先が味わった辛さを決して無駄にすることなく、ただ生きているだけではだめだと感じた。 そこにはもう、最初に感じた「驚き」は微塵もなく、むしろ発掘調査に携われたことが光栄に思えるようになった。 作業終盤頃、地面から膝の関節と思われる部分が突き出ている現場に遭遇した。 それを頼りに地面を掘り進めると、ほとんど一人分の遺骨が体育座りのような体勢で、顔を地面につけるようにして現れた。それがたとえその時代の常識であったとしても、今の常識、自分の中での常識を覆すかのような姿勢で出てきた遺骨は、発掘現場にいたみんなの胸を痛ませた。私もやるせない感情がこみ上げてきた。 今回の発掘調査では、7人の遺骨が見つかった。 私は今回の経験を通じて感じた複雑な思いを生涯忘れないだろう。今後、このような悲しみの連鎖のない社会を作り上げるため、草の根の活動を広げ努力していきたい。 最後に、故人の冥福を祈るとともに、発掘調査でお世話になった方々に感謝したい。 何より南朝鮮からお越しいただいた、強制労働従事者、池玉童ハラボジの勇気に敬意を表する。(卞才勲、朝青北海道本部職員) [朝鮮新報 2009.5.26] |