第27回高麗野遊会 晴天の下、250人が集う |
「高麗の地に 根付く日朝 友好の輪」
10日、埼玉県日高市の高麗川で「第27回高麗野遊会」(主催=同実行委員会)が開かれた。在日同胞や地域で日朝友好運動に取り組んでいる日本市民、歴史愛好家、南の留学生など250人余りが参加した。 朝10時過ぎ、集合場所の西武秩父線「高麗」駅に降り立つと、「天下大将軍」「地下女将軍」の文字が刻まれ た赤い巨大な将軍標(チャンスン)が出迎えてくれた。 将軍標は朝鮮の村のいたる所に建っていて、松の自然木に眼光鋭く恐ろしい形相の顔を彫刻し、災厄防除、悪魔退治、家内安全を祈願したと伝えられている。
川柳コンクール
一行は「高麗野遊会」ののぼりを先頭に、高麗川沿いの開墾地「巾着田」を通り抜け、可憐なマーガレットや色とりどりのルピナスが咲き誇るわき道を通り、新緑の美しい聖天院を巡って、約1300年前に高句麗から渡来した高麗・若光王を祀る高麗神社を訪ねた。 高麗神社では「高麗川柳作品コンクール」が開かれ、川柳作家の乱鬼龍さんが選んだ15のノミネート作品の中から参加者全員の投票の結果、「給付金 元はと言えば 俺の金」がトップ賞、「高麗の地に 根付く日朝 友好の輪」が優秀賞に選ばれた。 続いて、60代・高麗文康宮司の説明を受けた。 「高句麗は、高い文化を持った強国であった。日本にもたくさんの影響を与えた。668年に滅び一部の人は後に渤海という国を建て、一部の人は海を渡って日本に住み着いた。高麗郡には1799人の高麗人たちが集まってきた。高麗郡は7年後の2016年、建郡1300年を迎える」 古代朝鮮と日本との関わりについて学んだ一行は、大焼肉パーティーが開かれる高麗川へ移動。昨年7月に亡くなった歴史家の琴秉洞さんを偲んで黙祷を捧げた。琴さんは長年、高麗野遊会の講師を務めてきた。
参加者たちの声
川原で開かれた焼肉パーティーでは、朝鮮と日本の人たちが七輪を囲んで美味しい焼肉に舌鼓を打ちながら、スピーチや歌、踊り、民族楽器の演奏などを楽しんだ。 平野慎一さん(「タリの会」代表)は、「朝鮮の人工衛星打ち上げの最中、小平では初めての『南北コリアと日本のともだち展』を無事開催した。絵画展はスタッフを除いて約400人に観てもらうことができた。今後も肩肘張らず、活動を続けていきたい」と話した。 日向よう子さん(HOWS=本郷文化フォーラム・ワーカーズスクール)は、「朝鮮の人工衛星打ち上げの際の列島をあげての大騒ぎに見られるように、日本の反動化はどんどん進んでいる。こうした問題に頭を悩ませながら、朝鮮と東アジアの人々といかに連帯していけるか、学習を進めていきたい。以前、映画『ウリハッキョ』の上映会を行ったが、今後は朝大50周年を記念して制作された文学部の映画『星の流るるせせらぎの辺で』の上映会もしたいと思う」と述べた。 また、朝鮮大学校民族打楽器演奏サークル「セマチ」の一員としてチャンゴを演奏した金真雅さん(文学歴史学部2年)は、「中学(四国初中)時代、チマ・チョゴリ切り裂き事件などで身の安全を守るため、通学時には体操着の着用が義務付けられていた。当時は恐怖心と、なぜチマ・チョゴリを隠さなければならないのか? という疑問を抱いていた。今日はたくさんの日本の人たちが朝鮮を理解し、親しみをもって接してくれる姿を見てとてもうれしかった。一人でも多くの日本の人たちと親しくなって理解を深めてもらい、今後、在日朝鮮人をねらった悲しい事件がなくなることを願っている」と語った。 この日の最高気温は28度。好天に恵まれたこともあり、参加者の数は過去最高を記録した。(金潤順記者) [朝鮮新報 2009.5.20] |