〈経済危機のここに注目-6-〉 「戦後最大の経済危機」の本質 |
前回まで深刻な経済危機の様相を探ってきたが、今回は経済危機の歴史的意味についてまとめてみたい。 今の金融危機と世界不況のより大きな問題はとりもなおさず、資本主義経済構造そのもののゆきづまりが、はっきりとあらわれている点にある。
まず第一に、それは30余年の間持続してきた新自由主義と規制緩和政策の必然的産物であること。その意味では新自由主義と市場原理主義、市場崇拝主義、市場万能主義の破綻を意味しているものと言えよう。
まさに、今の金融危機は米国の金融自由化の推進による住宅バブルと金融バブルの膨張に基本原因があるのであって、金融自由化の推進により金融投機化を加速化し、直接金融優位論を正当化してきた市場原理主義的な経済政策の限界が表面化したことにその本質がある。 第二に、金融危機が金融投機化の国内的蔓延と金融独占による金融世界化戦略にさまよった米国式資本主義の破産没落を表す現象であること。リーマン・ブラザーズが倒産したのをきっかけに、米国投資銀行の上位5行がすべてその姿を消すという事態はそれを如実に表している。 今回の危機は、80年代以降の新自由主義政策のもとで生じたブラック・マンデー(1987年)、アジア危機(1997年)に続く、3回目の国際金融危機であるが、注目すべき点は、今回の危機が「21世紀型金融危機」とともに、米国型金融ビジネス・モデルの破綻、すなわち「投機資本主義」の限界を示す新しい性格のものであるということである。 ふり返ってみると、結局のところ米国の主導した「グローバリゼーション」とは、とりもなおさず、米国の経常赤字をファイナンスする仕組みであったと言える。つまり、米国債などを外国に売り、そこで得た資金を高いリターンの海外投資に回す。その尖兵が投資銀行だった。米国は、この投資銀行による「金融帝国主義」を進めることで繁栄を謳歌した。しかし今回の金融危機でそのビジネスモデルは破綻したのである。 米国一極支配の終焉 第三に、金融危機がドル体制の崩壊、ドルによる米国一極支配の終焉を意味した現象であること。すなわち、金融自由化のもとで基軸通貨ドルを支えていた米国の金融戦略が破綻した基軸通貨ドル体制の危機であるという点にある。 米国のバブル崩壊は、単に住宅バブルが崩壊したから起きたということだけではない。 71年のニクソンショック(金・ドル交換停止)以降、確固たる裏づけを失ったドルが刷り続けられ、世界の決済通貨として流通した。米国は為替リスクを負わない米国債を発行して世界に引き受けてもらい、その借金で集めたおカネが家計に回り、企業は世界にまた再投資していく。その巨大な成長システムそのものが崩壊したのだ。 フランスのサルコジ大統領は、「ドルは、もはや唯一の基軸通貨と言い張ることは出来ない」と、公然とドル基軸への異論を唱えた。また、英国のブラウン首相は今回の金融サミットを「新ブレトンウッズ体制への道」だと明言し、米ドル基軸から新たなステージへの過渡期に入ったことを悟った。すでに、二度にかけて開かれた中国やブラジルなど有力新興国を加えた主要20カ国・地域(G20)の首脳による「金融サミット」は、世界の金融体制が変わり始めた端緒を切り開くものであり、金融危機と急激に悪化する世界経済に対応するための新しい枠組み作りの一歩なのである。 大きく揺らぎ始めた米ドル基軸体制、これを絶好の好機と攻めるEUと発言力拡大を目指す新興国との通貨覇権を巡る攻防が始まりつつあるように思える。ドル基軸が大きな岐路を迎えたことは確かであろう。 まさに、米金融帝国の終わりを意味しているのであり、同時にドル本位制の終わりの始まりでもある。このことこそが、まさしく今の金融危機、世界経済危機の歴史的意味をなすのである。 「100年に一度の経済危機」のもとで世界経済は、米国型の金融・経済モデルからの脱却と、米国経済とドルに依存しない経済の模索が大きな流れとなりつつあるが、今後どのように展開していこうと、資本主義世界の政治、経済的様相は大きく転換していかざるをえないであろう。(池永一、朝鮮大学校社会科学研究所所長) [朝鮮新報 2009.4.27] |