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東京大空襲64周年朝鮮人犠牲者追悼会 60年ぶり 「アボジ!」と号泣

調査団が招き遺族が初参列

 日本の植民地支配時代に強制連行され、1945年3月10日の東京大空襲で犠牲となった朝鮮人の遺族らが東京朝鮮人強制連行真相調査団の招きで南朝鮮から日本を訪問。大空襲犠牲者の遺骨が眠る都慰霊堂(墨田区)や名簿が展示されている東京大空襲・戦災資料センター(江東区)などを訪れた。2月28日には、都慰霊堂で行われた朝鮮人犠牲者を追悼する会にも参列した。

「血の涙流した」
 

追悼歌を斉唱する東京中高中級部声楽部の生徒たち

 来日した遺族は、黄秉煥さん(70)と金琴蘭さん(70)夫妻。黄さんの父・洙達さん(当時24歳)と金さんの父・鳳石さん(当時32歳)は、空襲直前に旧日本海軍部隊の軍属として徴用され芝浦海軍施設補給部で働かされた。共に深川の宿舎で空襲に見舞われ亡くなった。

 金さんの父は、5人の子どもと妊娠6カ月の妻を残したまま連行された。「行かないで」と止める子どもたちに、「ランドセルを買ってきてあげるから」となだめて家を出た。幼い妹が「なぜ私にはアボジがいないの?」と問うたびに「家族は血の涙を流した」という(金さん)。

 一緒に連行され解放後、帰郷した村人によると、金さんの父は生前、子どもたちへのお土産にランドセルや鉛筆を用意していた。

 金さんは、資料センターに展示されている名簿から父の名前を見つけ、60年の苦しみが噴出し「アボジ! アボジ!」と号泣した。

 一方、黄さんは5歳のとき父が連行されたため記憶がほとんどない。母と妹の3人が残された。母は夫の帰りをずっと待っていたが、再会の願いも叶わぬまま亡くなった。

 「(犠牲になっていたことが)少しでも早くわかっていたら、オモニを連れて来れたのに…」

 黄さんの父は、靖国神社に無断で合祀されていることもわかった。無念はさらに募った。「あの世でオモニと愛情を分かち合ってください」と語った。

「過去の共有を」
 

父の霊前に焼香する遺族ら

 都慰霊堂で行われた追悼会には、朝青や留学同の青年をはじめとする同胞や都議、区議ら日本人約150人が参列。黙祷を捧げ献花し犠牲者を追悼した。

 僧侶の読経、牧師の祈祷の後、遺族らが追悼の辞を述べ、北南朝鮮の関係機関、団体から送られてきた追悼文が代読された。また、東京朝鮮中高級学校中級部声楽部の生徒たちが追悼歌を斉唱した。

 朝鮮人犠牲者の存在が明らかになったのは3年前。東京調査団の調べでこれまでに72人の身元が判明した。だが、遺骨は合葬などによって見分けがつかない状態のまま。納骨堂を訪れ説明を受けた黄さんは「言葉にならない。何とか遺骨を見つけ出して故郷に持ち帰りたい」と話す。

 一方、金さんは厚生労働省作成の「在隊の記録」を持参。そこには供託金の存在とともに「遺骨は昭和23年2月3日還送済み」と記されていた。だが金さんは受け取っていない。「遺族をみんな日本に招いてほしい。そこから話し合えればいい。二度とこうした悲劇を生まないようにしてほしい」。

 東京調査団関係者は「多くの日本人に参加してもらった。今後、さらに多くの同胞の関心を呼び起こし、遺骨の調査・返還に拍車をかけていきたい」と語る。

 西澤清・日本人側代表は「犠牲者たちは未来を奪われたが、私たちと過去の事実を共有することができる。一つになって過去を共有しながら、より良い未来へ向かっていきたい」と強調した。

 65周年を迎える来年は、朝鮮半島から遺族や研究者を招き、追悼会とともに国際シンポジウムを開催したいと明らかにした。(李泰鎬記者)

[朝鮮新報 2009.3.4]