우리 말(ウリマル) |
母語を日本語とする私にとって、ウリマルという言葉の意味を何の屈託もなしに「わたしたちのことば」と捉えることは難しい。ウリマルは大学を卒業してから学び始めた。遅い出発となったが、ウリマルを学ぶことは、私にとって大きな喜びであり、ウリマルという言葉へのためらいを乗り越えるきっかけとなった。 そんな私の喜びは父の痛みの上にある。「在日」2世の世代が直面していた貧困や民族矛盾を考えれば、父が教育の機会を逸したことは不思議ではない。父はウリマルを学びたくても学べなかった。 「お父さんは、この字は読めないんだ」 ある夏のこと。廃越(ハングル)で書いたメモを渡すと、しぼりだすように父は言った。私がウリマルを身につけ始めたことを父は喜んでくれるだろう。そう考えてメモをハングルで書いた。しかし、父はメモを二度と見なかった。言語の習得のみにこだわっていた私は、父のウリマルへの屈託に思いいたらなかった。 「在日」朝鮮人がウリマルを修得し難い状況は、日本の社会にその最大の要因があるが、ウリマルを修得できない痛みは、ウリマルをウリマルと受け止めきれない「在日」朝鮮人が引き受ける。その痛みは、言語の習得のみによって解消するものではないだろう。 言語の習得のみがウリマルをウリマルたらしめているのではない。ウリマルとは「わたしたちのことば」を意味する。その意味への想いや屈託、痛みこそがウリマルをウリマルたらしめているのだと思う。(李千波、私立高校・非常勤講師、東京在住) [朝鮮新報 2008.7.4] |