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セセデの恋愛観

 私たち朝青世代は周りから「セセデ」(新しい世代)と言われる。古い世代との境界線はどこなのか、どんな要素からカテゴライズされているのか…在日同胞青年の総称(愛称?)としてはとても便利な言葉だと思う。

 「セセデ」が旧セデと区別される外在的要素が世代(在日3世、4世など)であるならば、一番の内在的要素は「恋愛観」ではないかと密かにに思っている。

 将来の食いぶちに関わる結婚を仮に「職業」に例えるならば、恋愛はプライベートを充足させる「趣味」のようなもの。だからこそ「セセデ」にとって恋愛はとくに「こだわり」−学歴や職業、家族構成、国籍や民族でさえ−必要ないものと言える。

 一度燃え上がった感情や過ごしてきた二人の時間が既成事実となり、「こだわり」のない「恋愛」がそのまま「こだわり」を欠いた「結婚」につながってしまうのは悲しい現実で、その結果、8割が国際結婚という数字につながっているのではないだろうか。

 しかしながら、「こだわりのない恋愛」に問題意識を持ったからこそ、結婚を前提とした「こだわりのある恋愛」を目指そうとする人が私の周りで最近多い。

 きっかけは同級生のコテコテのウリ式結婚式だったり同窓会だったりさまざまだが、20代後半にさしかかった私の年代にとってはとくに差し迫った大事な問題なのだ。

 セセデの「こだわりのある恋愛」を応援すべく、私も朝青イルクンとして一役買いたい。(鄭景心、朝青中央江東支部専任)

[朝鮮新報 2008.4.19]