落ち葉の季節からの始まり |
ここ数年、季節の移り変わりの「鈍さ」を感じざるをえない中、ようやくこの季節がやってきた。「落ち葉の季節」。私が一番好きな季節である。東京の新宿で生まれ育った私は、いつも同胞の中、コリアンのアイデンティティをしっかりもった両親に育てられ、ウリハッキョにも12年間通い、その後、医療の道に進み、そしてまた大学生と社会人の両立の日々を送っている。 昨年11月、私は南朝鮮へ短期留学した。目的は料理と古典文化を学ぶため。そこで五感を通して感じたものは、私という人間にいい「薬」をくれた。訪れた時期はちょうど紅葉の頃で、ソウルの街は恥ずかしそうに赤らんだり、背の高い銀杏の木は誇らしげに黄金色に輝いていたり。一人街を歩き、落ち葉を踏みながら、17歳、18歳の頃訪れた「祖国」を思ったとき、不思議な画像がまぶたに浮かんだ。長い間分断され、今となっては、それぞれ景色さえも多くの部分で異なってしまっているというのに、その時私には、「北」と「南」の景色が一つになって見えたのである。そう思うと胸の中にわくわく感が湧いてきた。(この私に何ができるのだろう)。 原点に戻り、自分の力量を測る。昨年のこの季節はそんな時期だった。ここ数年私は自分探しの旅に出ている。今年の「落ち葉の季節」には、ついに独り立ちをすることにとなった。目に焼きついた景色はまだまだ鮮明だ。自分という人間に何ができるのか、今年のこの始まりに、あらためて考えてみようと思う。(高基純、臨床検査技師、フードコーディネーター) [朝鮮新報 2008.1.18] |