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旧渤海の活況−日本とも深い縁、頻繁な使節往来

 朝鮮東北部のロシアとの国境都市羅先市。本紙特派員の現地報告によれば、羅津港や羅先−ハッサン区間の鉄道現代化工事の本格的開始に伴って活気づいているという。

 この一帯は渤海の故地としても知られ、日本との縁も深い。いまから1280年ほど前の727年10月4日、渤海から最初の使節が秋田県北部に来着した。その知らせを聞いた聖武天皇は使者を派遣し、衣服を送り、丁重に遠来の客を慰めた。渤海使一行は、奈良の都に入り、渤海国第2代の王・大武芸の国書と渤海の特産物を聖武天皇に捧げた。天皇は渤海が668年10月に唐の攻撃を受けて滅亡した高句麗を継承した国であることを認識していた。

 渤海国王から日本天皇にあてた書状は、隣国である渤海国が698年「旧高句麗の土地を回復し、扶余の古い風俗を保っている。しかし貴国とは遠くに隔たり、間には広々と海や川が広がり、音信は通わず慶弔をたずねることもない。これからは互いに親しく助け合い、歴史が望むようにしたいと願い、使者を通わせ睦まじく隣国としての交わりを今日から始めたい」とのべている。

 これに対する聖武天皇の返書は728年5月16日に渤海使に渡された。「王からの書状を読み、王が旧領土を回復し、昔日のように修好を望んでいることがわかった。私はこれを喜ぶものだ。王は君臣の道が示すように仁慈の心で国内を取り締まり導き、愛によって育まれ、これからは遠く海によって隔てられようとも我が国との尽きせぬ往来を計られることを願う」との心のこもった言葉が綴られている。

 歴史のある断面ではあるが、時空を越えて、これらの熱い言葉が、日本の政治家に届けと祈りたい。(粉)

[朝鮮新報 2008.12.12]