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「制裁」措置延長−踏みにじられる家族への想い

 01年の正月休み。

 鳥取県のウェハルモニの家から山口・下関へと足を伸ばした。そして、童謡詩人金子みすゞが生まれ育ったという仙崎へ。

 電車とバスを乗り継いで一人旅をした。

 港から望む青い海は、数千もの針を撒いたようにキラキラと輝いていた。

 仙崎は朝鮮東海側屈指の漁港で、戦後の引き揚げ港としても知られる場所だ。45年9月2日から日本人が朝鮮半島から引き揚げるにあたり、かつて関釜連絡船として就航していた興安丸が母港として釜山と仙崎・博多港を往復した。ここは、解放を迎え家族の待つ故郷へ帰ろうとする同胞たちでごった返した場所でもある。

 記者のハラボジが亡くなった翌年の6月、歴史的な北南首脳会談が開かれ、総聯同胞の故郷訪問が実現した。その知らせを聞いて「ハラボジが生きていたらどんなに喜んだか」と涙ぐむハルモニの姿が頭に浮かぶ。そのハルモニも、故郷訪問の申請をしていたものの、順番が訪れる前に体調を崩し帰らぬ人となった。

 日本の植民地支配によってわが同胞たちは引き裂かれ、その後もさまざまな制約によって苦しめられている。

 日本当局の「制裁」措置延長も然り。

 「万景峰92」号の渡航禁止は、高齢の同胞たちの「家族に会いたい」というささやかな喜びを無残に踏みにじっている。日本当局はそれらの苦しみを何かの「成果」だと思っているのか。

 「制裁」からは何も生まれない。そこには関係悪化があるのみだ。(潤)

[朝鮮新報 2008.10.24]