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黄真伊−女の才は不幸を招く?

 清少納言の名作「枕草子」の始まり−。

 「春はあけぼの やうやう白くなりゆき山ぎは 少し明りて 紫だちたる雲の細く たなびきたる」

 いまから約千年前に書かれたエッセイであるが、日本ではこれを超える文章はいまだに現れていないとさえ言われている。春の美しさを繊細に歌ったもので、彼女の才能の豊かさがここに凝縮されていよう。

 6日、衛星放送で始まった南のドラマ「黄真伊」もまた、朝鮮王朝時代を通じてもっとも豊かな文学的才能を誇った女性の物語である。朝鮮朝時代の厳しい身分差別の中で自我を貫き、その才能を開花させた生涯は、現代女性たちの共感を呼び覚ますだろう。

 父は両班の出だったが、母の身分が低かったため、妓生として苦難の道を歩まざるをえなかった黄真伊。その後、天才詩人としての名声を手にし、「松都三絶」と呼ばれるまでになった。とりわけ、黄真伊が詠った作品「朴淵」の「旅人よ、廬山(中国の名勝)をたたえず、わが海東(朝鮮)の美の冠たるを知るべし」は、その深い郷土愛を伝える作品として愛されてきた。

 しかし、世の常、女の才はかえって不幸を招くという封建思想が影響して、2人は同時代あるいは後世の男たちからさんざんな酷評を受けてきた。黄真伊に対しては、貴族や僧、「良家の子息」を誘拐し「堕落」させた女性という烙印を押し、清少納言に至っては、鎌倉時代に落魄説話が出回ったこともある。

 女性たちが時代の制約を受けながらも、苦悩の末に生み出し、輝きを失わない傑作には、長い歴史と風雪に耐えた重みが刻まれている。(粉)

[朝鮮新報 2008.4.11]