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教育研究集会で−「コッソンイ」1等作品の舞台裏

 先日、07年度教育研究集会東日本地域集会を取材した。集会には、375人の教員および教育関係者らが集い、111編の論文と13編の討論文が発表された。

 千葉朝鮮初中級学校・鄭桂順先生の発表は、今年1月に発表された「コッソンイ」作文コンクール初級部6年生韻文部門で1等に輝いた、「ぼくは雑巾」の指導経験について。

 鄭先生は児童を対象にした詩作の方法について、@「めんどうくさい」「むずかしい」という気持ちの切り替え、A「何を」書けばよいか、B「どのように」書けばよいか、C「どのように」直せばよいかの順で指導すると述べた。

 児童は初稿で、「雑巾の悲しみ」を謡っている。3連・13行の作品では、「生まれたときはきれいだったのに、一日で汚れてしまった、みんなの机を拭いたのに、誰も褒めてくれない、疲れた、悲しい」と言っている。鄭先生は児童に向かって、@対象をよく見て考えよう、A気持ちをもっと表そう、B発見が大事、C構成を見直す、D効果的な表現を使ってみようと指導する。メモには、「雑巾は悲しいだけじゃない、一生懸命働く、汚いけど偉い、雑巾は汚れるけど教室はきれいになる、雑巾にも誇りはある、見た目は悪いけど恥じることはない…といった児童とのやり取りが記されている。2稿、3稿と進めていくうちに、雑巾の生き生きとした(?)主張が表れてくる。

 以前、教育欄の連載「教室で」の取材で、鄭先生は日頃から「良い詩を選び、積極的に生徒たちに紹介している」と話していた。児童・生徒たちの優れた作品は、一石二鳥で生まれるものではない。志ある教員のたゆみない努力と、日頃の積み重ねに秘訣があることを再確認した。(潤)

[朝鮮新報 2008.2.2]